概要
堤康次郎が創業した「西武企業グループ」を母体とし、康次郎の死後、流通部門を継いだ次男
清二が
西武流通グループとして自立。のち
西武セゾングループと改称、多角化はさらに進み「西武」を外して
セゾングループと名乗ることで独立色を鮮明にした。
その根底には
コクド(現・
プリンスホテル)・
西武鉄道を継承した異母弟
堤義明との確執があるとされるが、現在は共通カードとしてセゾンカードが使える。
1989年に西武ピサ、ウェイヴ、リボーンスポーツシステムズ、西武百貨店文化レジャー事業部の3社1事業部が合併して誕生したピサを加えて最盛期13グループ体制とすることもある。
これらに収まらない個別事業はセゾンコーポレーションが管轄した。
歴史
鉄道との分裂
一代で西武の礎を築いた堤康次郎が
1964年に急死。跡を継いだ堤義明は、不遇を受けた兄・清二に、西武の本業ではない流通部門を渡した。
偉大な父なき後は「兄弟会」を設置し秩序の維持に努めたが、父の七回忌の場で義明との「相互不干渉」の確約を交わし、西武二分裂が確定的となったことで
1971年、「西武流通グループ」を旗揚げ。
西武を名乗れど、西武から決別した今後は、何らかの独自色を打ち出す必要があった。
ただし、
西武百貨店が
西武ライオンズのユニフォームスポンサーだったり、ライオンズの優勝セールをセゾングループ各店で行っていたこともあり、完全に無関係だったわけではなく、是々非々で協力または競合関係にあった。
感性の経営
1969年、撤退した「東京
丸物」を継承する形で
パルコ第一号店を池袋に開設。パルコに限っては、奔放な性格であるが信頼を置いていた増田通二に任せ、運営には干渉せず自由放任を与えた。
1973年の
渋谷進出にあたっては、若者文化やアートとの協調を掲げ、従来になかったミックス型フロア構成とバラエティ感覚で挑み大反響を呼ぶ。この渋谷パルコの成功体験で確信を得たうえで、いわゆる「文化戦略」がスタートした。
- ──百貨店から先端の文化・情報を発信、客はまるでディズニーランドを回遊するように、渋谷に点在するギャラリーや劇場を巡って知的好奇心を満たす。快適なアメニティをロボットやニューメディアがバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業までも認め、競合することが逆に発展的効果を促す──
こうした数量的ではなく "文学的" 経営ビジョンは「感性の経営」と呼ばれ話題となった。タイミングは絶妙だった。日本の誰もが物質的豊かさを享受し、政治的無関心が出現し始める
1970年代。これからの時代は、何か目新しいコンセプト、カルチャーやエンタテインメント性こそが欲望される。
こうして文化全般を
ポストモダン的に展開するセゾン系独特の手法は、
1980年代にパルコ系「アクロス」誌が提唱した
新人類の台頭によって支えられ、先鋭的ブランドイメージを築いた。その根底にあったのは堤清二の左翼性、消費を通じた「
啓蒙」や「解放」である。
池袋本店は全国のモデル店として、文化を軸に実験的な改装を重ね、また他方では、先行開発した
渋谷エリアが若者の街として急浮上し、磐石な二極体制ができあがった。
池袋では最大規模の売上を稼ぎ出しつつ、若者文化の情報発信源と化した渋谷からは、のちに「
渋谷系」やストリート系、
女子高生文化といった数々の社会現象が生まれ、若者消費を牽引した。
しかし、一連の急展開は、名門堤家の信用力をバックにつけた銀行融資に依存したものであり、あくなき投資で見かけ上の規模は膨張を続けるものの、利益率は著しく低いまま借金体質が続いた。
文化戦略
「文化の西武」を如何なく発揮させるには、広告から売り場の末端に至るまで外部に依存しない独自展開が必要だった。
池袋西武にセゾンの文化拠点として「
セゾン美術館」(西武美術館、
1975年)を併設。単なる集客狙いの催事場の域を超え本格的な展示に挑み、従来扱われなかった
現代アートを中心とし独自の路線を走る。
更に池袋店本館には数多くの文化スペースを設け次々に新鮮な企画が打ち出された。一方でパルコ系の文化事業はそれ自体がファッション商品であると位置づける。
現在
六本木ヒルズが建つ場所に在った「
ウェイヴ」(ディスクポート西武、
1973年)は、当時まだ入手困難だった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。
1975年に大型書店の「
リブロ」(西武ブックセンター)、アート系書店で美術品も扱う前衛的な形態だった「アール・ヴィヴァン」(ニューアート西武)が発足。「
パルコ出版」や「リブロポート」、「トレヴィル」などを通じ、決して販売部数は期待できない本格的な美術書や文芸書を独自に出版。
西友は米タイム社と提携し「西武タイム」(現・角川・エス・エス・コミュニケーションズ)で情報誌を展開。これはのちに
チケットセゾンを吸収し紙面と連携。
1979年には、いわば
アングラ系小劇場・
ミニシアターの先駆け「スタジオ200」、学校外から知識・教養の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。
西友はスーパー業界では劣勢だったため上質な売り場提案による差別化を検討。その一環で開発されたプライベートブランド・
無印良品(
1980年)が異例のヒット。また脱チェーンストアとして、「西武」の名を冠し、立地ごとにカスタマイズされた西友独自の
百貨店業態を模索(のちの
LIVIN)。
英国のサー・
テレンス・コンランとの提携による池袋西武「ハビタ館」より
家具市場に参入(
1982年)。映画配給・制作に乗り出した「シネセゾン」(
1984年)は、旧態依然としていた映画館運営の常識を覆す斬新な取り組みが見られた。
倒産した
大沢商会を傘下に収めたことで(
1984年)、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。演劇の場として銀座セゾン劇場(
1987年)を開設。
西友側では「DAIK(ダイク)」を展開し、モダンリビングのトレンドを先取り。西武百貨店は家具専門のハビタ館の後継ともいうべく、
北欧インテリア専門店「
イルムス」と業務提携し(
1998年)、池袋店にイルムス館として日本初導入(
1999年)。
スカンジナビアモダンの流行に先鞭をつけた。
生活総合産業
カード・保険・レジャー・自動車販売等
グループ解散、そして新たな協力関係へ
日本は
バブル景気崩壊から90年代長期
平成不況期に入ると、イメージ戦略は必ずしも消費と結びつかなくなり、百貨店離れ・スーパー離れを引き起こした。高級消費財や娯楽への消費は抑制され、脱・流通業として手がけられた不動産・ファイナンスは多額の負債を抱えた。
カリスマ的な西武の堤家の存在を暗黙の信用担保とした体質、堤清二氏のワンマン体制、地方の不採算な店舗など、華やかなブランドイメージの影で覆い隠されてきた問題は、一気に明るみに出た。堤清二が代表から失脚(1991年)して、西武百貨店に復帰した和田繁明は、店員の顧客への対応の悪さなどを「西武百貨店白書」に赤裸々に記述した。
こうして本業が揺らぐ中、不動産開発の
西洋環境開発(西武百貨店傘下)とノンバンクの
東京シティファイナンス(西友傘下)はともに多額の負債を抱え、
1990年代後半のセゾンはリストラを断行した。当初はそれぞれ親会社の西武百貨店・西友でリストラ・資産売却(西友はファミリーマート・良品計画など上場子会社と
インターコンチネンタルホテルグループの持株を手放した)を実施したが、
第一勧銀を筆頭とした取引銀行団の意向は強く、それでも残った負債のために
クレディセゾン等他のセゾングループ企業や
堤清二個人からも支援を要求したため、各所で資産売却を決行し、最後の懸案だった西洋環境開発の清算をもって2001年には「セゾングループ」が事実上、解散した。
セゾン系各社は解散により資本的根拠は薄くなったが協力関係は強く残る。西武百貨店を傘下に置く
ミレニアムリテイリングは、
西武鉄道との再合流を目指すも、セブン&アイ・ホールディングスと電撃的に経営統合。一方で、西武沿線における協業を進めようとしている。なお2006年9月に
西武鉄道と
クレディセゾンは「
SEIBU プリンスカード」の発行を開始した。
旧セゾングループ企業一覧
中核5社
百貨店業。 →
そごうとともに
ミレニアムリテイリングの傘下に。ミレニアムリテイリングもさらに2006年6月1日付でセブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となり、ミレニアムはセブン&アイの中間持株会社(百貨店事業持株会社)という位置づけで現在に至っている。
なお、ファミリーマートや吉野家ディーアンドシー、イルムス株などを取得しグループ入りさせた
伊藤忠商事と西武百貨店は、1999年に事業協力で業務提携しているが、ミレニアム発足後はその関係の分野は限られている。
小売業(旧・西武/西友ストアー)。
スーパーマーケット「西友」・
LIVINなどを運営。 →2000年に
住友商事が大株主となり、その後2001年から米国
ウォルマートと業務・資本提携。その後段階的にウォルマートが株式を取得して2005年末に連結子会社となった。2006年に
上場廃止。
西洋フードシステムズ
給食・
飲食店事業・食品加工・流通など。旧・レストラン西武。
-
1970年にダンキンドーナツを展開。後に、同じセゾングループのディー・アンド・シー(後に吉野家と合併して吉野家ディー・アンド・シー)が店舗展開した。
- →英国コンパス・グループの傘下入りし、西洋フード・コンパスグループ株式会社になっている。なお、ダンキンドーナツは日本から撤退し、吉野家ディー・アンド・シーは伊藤忠商事傘下である。
- →セゾングループの中核企業だったが経営破綻し2001年に特別清算。セゾングループ解体の直接的な引き金となった。「生活総合産業」を掲げ、それまでの流通グループの域から脱するという特別な使命があったが、セゾンを解体に導いた。
その他グループ会社
-
良品計画
- 1989年に西友から独立した。全国に「無印良品」を展開。ファミリーマートと株式の持ち合いをしていたが、1998年に伊藤忠グループがファミリーマート株を取得したため、殆どの株式を手放し。しかし、2006年3月に株式の持ち合いを発表し、再度関係を強化した。旧セゾングループの中では、ファミリーマートとクレディセゾンが主要株主。
-
ロフト
- 西武百貨店の雑貨スペース「Loft」が株式会社化し分社独立。現在、セブン&アイホールディングスの中間持株会社ミレニアムリテイリング傘下。
-
パルコ
-
ディベロッパー業。全国に商業テナントビル「PARCO」を展開。また、パルコ劇場、CLUB QUATTRO、Studio PARCO、渋谷スペイン坂スタジオ(TOKYO FM)など文化事業も幅広く手掛けた。 ダイハツ工業とも提携し、1988年にミラに特別仕様車で発売され、その後、1995年にはオプティ、2001年にはムーヴ、YRVにパルコ仕様グレードが設定された。
- しかし、2002年にはセゾングループの経営再建とムーヴのフルモデルチェンジに伴い提携解消。現在、森トラストが約1/3以内の筆頭株主。旧セゾングループではクレディセゾンが大株主。
-
ファミリーマート
- 西友子会社としてコンビニエンスストアを展開。1998年に伊藤忠商事グループが株式取得。2006年3月に良品計画との株式持ち合いを発表した。
-
LIVIN
- 西友が独自に百貨店業態として追求したもの。
-
リブロ
- 西武ブックセンターとして池袋西武に誕生、主にセゾン系テナントとして拡大した書店チェーン。アバンギャルドやコンテンポラリーアート、最新の洋書などを扱う流行の感度の鋭さから、青山ブックセンターと並び称される存在だった。 →日本出版販売の傘下。
-
WAVE
- 音楽・映像ソフト販売(WAVE)。→タワーレコード傘下を経て、家電販売店ノジマが子会社化。
-
J-WAVE
- 西武百貨店や西友などが出資してできた東京で民間としては2局目のFMラジオ局。当時としては珍しい音楽中心のラジオ局。J-POPなる言葉は、J-WAVEが起源。セゾンはまた、東京FMと共同で渋谷にスタジオもつくった。セゾンとは別だが西武鉄道グループなどが出資したFMラジオ局NACK5(共に開局は1988年)もある。現在、旧セゾングループではクレディセゾンがJ-WAVEの主要株主。
- ザ・ガーデン自由が丘
-
シェルガーデンが展開する高質食品スーパー。後に西武百貨店傘下企業となり、1995年の池袋西武への出店を機に『ザ・ガーデン自由が丘』と改名。自由が丘店を皮切りに西武百貨店などに出店。現在、7&Iと西武百貨店が株主。そごうにも出店している。
- イルムス
-
北欧
インテリア・雑貨・家具専門館。デンマークの「ロイヤルスカンジナビア」社と資本・業務提携(1998年)。同社の展開する北欧インテリア店「イルムス」を池袋店に「イルムス館」として日本初導入(1999年)。2001年にイルムスジャパン設立。→2003年5月には伊藤忠商事が資本参加。西武百貨店から株式の85%取得。今でも多くは、ミレニアム系の西武やそごうに出店している。
- リボン館
- コナミスポーツ&ライフへ譲渡された。
- 渋谷PAO
- 小田急のカリヨン館に影響されて西武が渋谷に建設した「母と子供の百貨店」。現在は閉店しタワーレコードになっている。
-
吉野家ディー・アンド・シー
-
ファーストフード業。牛丼チェーン「吉野家」などを運営。西洋フードシステムズ子会社。西洋フードシステムズから譲り受け、ダンキンドーナツも展開している。→伊藤忠グループが株式取得。
-
ダンキンドーナツ
- 西洋フードシステムズや吉野家ディー・アンド・シー傘下で店舗展開した。1998年に業績不振で日本から撤退。
-
西武自動車販売
-
フランスのシトロエン・プジョー、スウェーデンのサーブなどの輸入販売元。1960年代前半からシボレーなど大型米国車の輸入販売会社として存在していたが、1970年前後に取り扱い車種をマニア向け欧州車に変更。1995年、クライスラー日本法人へ売却される。
- ジャガージャパン
- 1986年、英国の高級車ジャガーと西武百貨店との共同出資で日本法人「ジャガージャパン株式会社」を設立。→1999年、西武百貨店が資本を撤退し、ジャガー・カーズ当時は単独で展開した。
-
新西武自動車販売
-
フランスの自動車シトロエンの輸入元。 →西武自動車のクライスラー日本法人への売却後、シトロエンの輸入販売を継続するため設立。シトロエンが「シトロエン・ジャポン」を設立して直接販売に乗り出したことにより2002年に清算。
- 西武日産販売(日産自動車系ディーラー・ブルーステージ)
- 東京日産モーターと共に、東京地区でセドリックなどの高級車をメインに販売していたが、2001年7月1日に東京日産モーターに吸収合併された。→のちに東京日産モーターも日産プリンス東京販売に吸収合併された。
- オートピア西洋
-
スズキのカーディーラー。グループ内需要を請け負う。
- セゾンファンデックス
-
抵当証券業・消費者金融業(旧・西武抵当証券)。ほかに旧セゾングループ数社に出資するなど投資会社の一面もある。住宅金融専門会社(住専)問題で損失を被った後、クレディセゾンの完全子会社となり、「SAISONのローン百選」という名称の消費者金融業が主である。
- セゾン情報システムズ
- 情報システム業。現在も西友、クレディセゾンが一部出資。
- セゾン生命・セゾン自動車火災保険
-
損害保険・生命保険業(旧・オールステート自動車・火災保険/西武オールステート生命)。米国オールステート(2000年日本撤退)との合弁会社で1997年にセゾングループの傘下となる。 →2002年にセゾン生命はGEエジソン生命(現・AIGエジソン生命)に吸収合併され、セゾン自動車火災保険は同年損害保険ジャパンと業務・資本提携を行い子会社となる。現在も保険募集業でクレディセゾンなどと提携関係が続く。
- セゾン証券
- 1994年にクレディセゾン傘下の丸一証券と新西洋証券が合併して誕生。2001年にマネックス証券に吸収合併される。
- 東京シティファイナンス
- 西友子会社のノンバンク。消費者金融・モーゲージローンなどを積極的に行った結果、1999年頃から多額の不良債権が発生し経営が行き詰まり、西友の決算大赤字の発端となった。
- 「SEIYUキャッシュポイント」という名称の共用現金自動預け払い機を設置していた。 →ローンスターグループに買収され、東京スター銀行の子会社に。
- SSコミュニケーションズ
- 現角川SSコミュニケーションズ。セゾングループとタイムの合弁会社であり、「西武タイム社」として創業した。タイムの西友への株式譲渡以後は、西友傘下の出版社だった。「レタスクラブ」「マネープラス」などを発行。また「チケットセゾン」の事業も同社にて実施。チケットセゾンの実質的な後身であるエンタテインメントプラスに角川グループホールディングスが5%出資しているのはこの関係である。
- ヴィーヴル
- 西武百貨店旅行事業部ほかセゾン系レジャー部門が母体。現在はパチンコ店「コンサートホール」を展開。クレディセゾン系。セゾン系テナントビル「ザ・プライム」にも入居。
- パシフィックツアーシステムズ
- グループ内に散らばる旅行代理店を集約。上記ヴィーヴルから一部分離、さらに西友旅行事業部、太平洋観光が統合。 →JTB傘下。マルイ旅行センターを吸収。
-
朝日航洋
- 旧・朝日ヘリコプター。かつて池袋西武屋上は世界最大のヘリポートだったことも。西武所沢工場に整備所をもった。 →現在はトヨタグループ。
-
東京テアトル
- 戦後創業されたレジャー会社。90年代にセゾン系の傘下に入る。のちセゾンから独立。セゾングループの中でセゾンファンデックスが株主。現在は個人株主が主を占める。
- セゾン劇場
- 東京・銀座の「銀座セゾン劇場」運営会社。 →西友子会社で1999年に閉館・会社を清算したが、翌2000年に当時セゾングループだった東京テアトルが事業継承し「ル テアトル銀座」として再出発した。2007年に、ル テアトル銀座 by PARCOとしてパルコに運営移管。
-
ホテル西洋銀座
- 1987年開業。東京テアトル(株)が事業継承。
- 財団法人セゾン文化財団
- 堤清二が私財で設立。自身が好んだ演劇を中心に支援活動。現在理事長を務める。セゾングループ各社が支援。
- 朝日工業
- 旧朝日化学肥料が旧日本ニッケル(解散)の鉄鋼部門を吸収合併してできた西武化学工業が前身(当時、西武鉄道グループの一員だった)。
- その後セゾングループから離れるなどして、現在は阪和興業や三井物産等の商社各社、アサガミ、日本マタイ等の資本参加を受けて見事再生、JASDAQに株式上場を果たす。
- 朝日食品工業
- 上記会社と同じく旧西武化学工業が前身。後に農芸・鉄鋼の両部門を朝日工業として企業分割、現社名へ改称。その後、長らくセゾングループの一員となっていたが現在は同グループから離脱している模様。
- 東海観光
- (東京証券取引所コード9704)
- さくら観光が前身で、その後三井物産の資本参加や東証への株式上場、及び元子会社(旧東海観光事業)の吸収合併を経て現在の東海観光へ社名変更なる。その後、同社の経営権を掌握していた三井物産が同社グループ内のレジャー事業の見直し等から、当時の西武セゾングループ(現在のセゾングループ)各社への株式譲渡をもって同グループの傘下に入る。
- 平成初期のバブル崩壊後に経営難に陥りセゾングループが資本撤退すると、97年に新たなパートナーとして香港における不動産・レジャーの大手「ファー・イースト・コンソーシアム・インターナショナル」(FECI)のグループ企業を親会社に迎え入れ、不動産事業へ進出。
- しかし、2年経過しても経営状態があまり良くならなかったためFECIグループが保有する同社株式を市場へ大量売却、同グループから事実上の資本独立を余儀なくされる。
- 以後、今日まで多数の海外子会社を通じ国内にある多くの賃貸不動産を取得するなどして、自力での経営再建を続けている模様。
評価
経営者自らが明確なビジョンを持って全面的に文化事業に取り組んだ、大企業としてはおそらく唯一の企業グループであり、
企業メセナの先駆けだった。一方で、
ポストモダニズムが自然消滅していったように、時代の流行に踊らされていた面も否めず、その評価には賛否両論がある。堤清二は自覚的だったが「文化戦略」は、結局のところ広告の仕掛けに過ぎなかったという見方もある。しかし、資本主義とは広告と切り離しては、存立し得ず、また時代(=消費者、マスメディア)が求めていたことでもある。今から見れば、時代とセゾンが表裏一体で生み出した文化・社会現象だったといえよう。広告戦略についていえば、同時代で引き合いに出されるのが
フジテレビの娯楽路線(楽しくなければテレビじゃない)で、いずれも「
80年代的空虚さ」と検証されることがある。しかし、セゾンが日本流通史に残した足跡は大きいと見るのが一般的である。
関連項目
外部リンク
解せそん
脱せそん