超高性能
乗用車とも呼ばれる。
一般的には、「かなり風変わりで珍しく、同時代の
スポーツカーと比較して極端に性能が優れるもの」を指す場合が多い。走行性能やデザインなどにより一般のスポーツカーと差別化されているが、「スーパーカー」という言葉の広まりにつれ、定義は非常に曖昧になった。言葉の定義には専門家や
エンスージアストなどの間でも議論がある。またその時々によって概念が左右される用語であり、ある時代にはスーパーカーであっても、技術革新により後時代はスーパーカーでなくなる場合もある。したがって「スーパーカー」という言葉は、印象と存在感が極めて大きい車を好意的に指していると解するのが妥当だろう。
アメリカ、および
欧州では
Super car、あるいは
Exotic carとも呼ばれる。元々はイギリスのAPフィルムズ製作のパペットドラマ「
スーパーカー」に由来する。
概要
スーパーカーは
スポーツカー、または
グランツーリスモ (GT)の一種であると言える。スーパーカーと非スーパーカーの区別が明確にある訳ではない。
メーカー自身がスーパーカーを自称した事はなく、もっぱら
消費者側からの呼称であり、普遍的な定義ではないが、1960年代後半-1980年代の
FRから
MRの過渡期にあった
量産ハイパワースポーツカーもしくはGTの一群を指す事が多い。
この頃は、
レーシングカーと一般の
スポーツカーの領域が明確に分かれ始めた時期である。レーシングカーの技術をそのまま量産車に適応出来た最後の時期だったと言われる。この時期以降のレーシングカーは、競技フィールドに特化した技術の集大成となり、量産車への適応が困難となっていった。スーパーカーは、レーシングカーの技術を表面的に量産車に応用し特徴のある外観を与えた夢のある時代の産物であるとも言える。
ただし、スーパーカーと呼ばれるものの全てがレーシングカーの技術を利用しているとは限らず、悪く言えば「見かけ倒し」的なものもあった。それでもそういったものがスーパーカーと呼ばれる理由はその外観にある。高性能であるだけではスーパーカーの部類には当てはまらず、スーパーカーと呼ばれるものは一般の乗用車とは異なる誰もが一目でスーパーカーとわかる、いかにも速そうな外観を持つことが最大の特徴とも言える。走行時には分からないが、「
ガルウイングドア」等がそれに当たる。また、クーペもスーパーカーとしての要素ではない訳ではない。
スーパーカーのほとんどは、メーカーのフラッグシップとしてイメージリーダ的な役割を負い、その当時の最新技術が惜しみなく投入された。外観のスタイルやインテリアのデザインも、時代を先取りしたデザインを採用し、大排気量エンジンを擁した贅沢な2座席であることが多かった。
これらはすべて、大量販売にはそぐわないものであり、量産スポーツカーに比べ、生産台数は極端に少なく、多いものでも数万台、少ない場合には数台程度のものもある。また手作りのため、非常に高額だった。
フェラーリや
ランボルギーニなどの典型的なスーパーカー・メーカーは、スーパーカー専業である場合が多いため、上記のような定義には疑問の声もある。大量生産される大衆乗用車と少量生産のスーパーカーを両方製造し、スーパーカーが大衆車のイメージリーダーになっている例は、
M1を製造した
BMWなど、かなり限られる。
フォード・GT40の場合はスーパーカーというよりは、コンペティションカーとの認識が一般的である。
ホンダもその少数例と言われることもあるが、フラッグシップカーである
NSXは高額とはいえ、あくまでマスプロダクトカーであるため、ホンダ自体の考えとしては、希少性へのこだわりは低かったと見られている。貴族階級や億万長者など、選ばれたごく少数の人のための特別な車であるスーパーカーは、希少性も非常に重要な価値である。
このようにスーパーカーは究極の走行性能やデザイン、そして究極なる存在を追い求めているが、その反面、大衆車に求められるような乗りやすさ、実用性、経済性、整備性、耐久性といった要素は考慮されていない場合がある。
車種にもよるが、前述の低車高と傾斜のきついフロントガラスによる視界の悪さ、マニュアル車では重く癖の強いクラッチ、低回転のトルクが薄いエンジン、多気筒エンジンでは始動性の悪さ(もっとも、スーパーカーの範疇ではないが、スポーツカーとして
三菱・スタリオンのように、低速でのダッシュ力を意識して排気量2l超でありながら逢えて4気筒を採用した例も存在するが)、居住性の問題として雨漏りや遮音性の悪さ、エアコンやオーディオの不装備などがある。また、カーボンやチタンなどの新素材をふんだんに使っているため、ちょっとした事故による破損でも修復不能で廃車になってしまうことすらある。修理できたとしても大衆車のように部品はすぐ調達できず、驚くほどの日数と費用がかかるといって良い。
購買層
スーパーカーは、階級制度によって育まれてきたヨーロッパの産物のひとつでもある。金に糸目を付けず特別なものを欲しがる
上流階級と、そういった需要に応え手間暇をかけて一品製作に近い形で高級品を製作する職人集団という構造が古くからあり、スーパーカーに限らず特殊なものが生み出されてきた。現代においては、ヨーロッパの階級制度以上にオイルマネーを動かすアラブ富裕層なども大きな顧客層となってきており、世界中に目を向ければ珍しいものを欲しがる金持ちは相当数いるため、商売の対象はそれなりにいる。自動車評論家
清水草一の「フェラーリがローンで買えるのは日本だけ」という言葉には、日本の国情とスーパーカーのなじみ方がよく表されている。
経営
スーパーカーのような超高級車はごく少数の顧客に向けて少量だけ製作されるため、メーカーの経営は常に不安定になりやすい。世界の政治経済の民主化が進んだ
第2次世界大戦後は特にその傾向が強く、多くの名門ブランドが存続の危機に立たされた。
イタリアの
フェラーリは、1970年代に早々と同国随一の大衆車メーカーである
フィアットの傘下に入っている。最古のスーパーカーメーカーと言える
マセラティは、様々なオーナーの下を移った挙句に、フェラーリの傘下に入って再生を遂げ、現在はフィアットの直轄となっている。
ランボルギーニは
フォルクスワーゲンの
アウディ傘下に組み入れられ、さらに
ブガッティもフォルクスワーゲン傘下となった。
名門スーパーカーメーカーの名前が途絶えず、より大規模な量産車メーカーによって買収されるものの、別ブランドとして維持されることが多いのは、メーカーのブランド名にそれだけの価値があるからである。販売数量に波のあるスーパーカーの経営に対して、大量生産販売で生まれた利潤を還元させることにより経営は平準化ができる一方、量産メーカーは経営の一環としてカタログに花を添えるようにブランドを掲げられる上、大量生産ではなしえない経営層の夢をスーパーカーブランドにより実現させることができる。
また、
イギリスの
ノーブルなど新たにスーパーカーとして名乗りを上げるメーカーや、
オランダの
スパイカー・カーズのようにかつての高級車ブランドを利用してスーパーカーの製造を行うメーカーも現れている。
日本独自の環境として、当時スーパーカーブームに影響を受けた年代が成長し購買層となったことで、その販売台数は安定したものとなっている。
日本のメーカーによるスポーツカー
和製スーパーカーは自動車・二輪車メーカーやレーシングカーコンストラクターから様々な物が企画されたが、市販に至った車は多くはない。1960年代には
トヨタ・2000GTが僅かながら生産されたが、メーカーにとってはほとんど赤字であった。1970年代には
童夢-零、バブル期には
日産・MID4、
ジオット・キャスピタ、
ヤマハ・OX99-11、1990年代後半から2000年代では
トムス・エンジェルや
ASL・ガライヤが市販を目指したが、販売されることはなかった。近年市販化に至った例としては、東京R&Dがイギリスのヴィーマック社とコラボレートし共同で開発された「
VEMAC」や、NSXが生産停止となり日本の自動車メーカーの現行スポーツカーが費えた時に生まれた「
光岡・大蛇」が挙げられる。後者は近年注目を集めており、第1回
あなたが選ぶカー・オブ・ザ・イヤー(C.C.C.)のスポーツカー部門では、圧倒的な得票数で1位に輝いている。
一方で量産スポーツカーとしては、日産・フェアレディZが1960年代から生産されている。国内ではさほど人気が無かったが、アメリカ・カナダでは人気があり、数多い「プアマンズ・ポルシェ」と呼ばれた車のひとつである。この言い回しは決して悪い評価で単にけなしているだけではなく、受け入れるユーザー層がいる証であり、値段だけがスーパーカー定義でないことを証明するものでもある。日本車の特徴とも言える信頼性の高さ、他のスポーツカーにない信頼性に対して相当数のファンがいる。そして1970年代から80年代において、他メーカーもこれに追随して、北米市場を目指して量産スポーツカーを開発・生産した。日本製量産スポーツカーの多くが「スポーツカーとしては割合に安価で、そこそこの性能を持ち、実用車としての性格を備える」という企画方針から出発しており、ユーザーが受け入れていることからも企画は成功していると評価できる。そして80年代以降は、日本国内でも徐々にスポーツカーの人気が高まっていく。
ただし、現在の日本製スポーツカーにとって、「そこそこの性能」とは、「ファミリーカーよりは高性能」から「欧米における既存のスーパーカーに劣らない程度」へと変化しつつある。これを一品製作のチューンドカーではなく、工業生産品として実現できるのは日本だけである。
1970年代の日本におけるスーパーカーブーム
日本では、かつて
1974年から
1978年にかけて、
池沢さとしの漫画「
サーキットの狼」などの影響で、スーパーカーの爆発的なブームが起きた。
スーパーカーは一般大衆には入手が困難なことから、特に
自動車が好きな人達から見ると羨望の的となった。
当時のブームにおいて知名度を得たスーパーカー群は、21世紀初頭の現在でも根強い人気がある。
このブーム当時の日本では、車の購買層ではない低年齢層へのプロモーションとして、
コカ・コーラ、
ファンタ等の清涼飲料水の王冠に車が描かれていたり、カード型の書籍が発売されたり、
スーパーカー消しゴムと呼ばれる塩化ビニール製のミニチュアが売られたりした。また日本の各地においてスーパーカーの展示会が行われた。並行する形で
F1ブームも巻き起こった。
プームは異常な加熱を見せた。
1977年春に
東京晴海で行われた「
サンスター・スーパーカー・コレクション77」などのスーパーカーショーでは、スーパーカーの写真撮影をしたいと高級カメラを持った少年たちが長蛇の列を作り、新聞などの一般マスコミで社会現象として大きく取り上げられた。同年7月には同じく晴海で「
ラ・カロッツェリア・イタリアーナ'77」というイベントが開催されている。
一般的な自動車雑誌もこぞってスーパーカー特集を組み、関連した書籍や写真集に加え、スーパーカーの排気音だけを収録した
レコードも登場した。街にスーパーカーが停まっていると人だかりができ、通行に支障が出るほどだった。少年たちから「ライト出して!」などと促され、運転しているオーナーが苦笑しながら
リトラクタブルライトを作動させたり、少年たちが写真撮影を終えるまで停車して待ってやったり、という場面も見受けられた。またスーパーカーの
エンブレムを窃盗するなど、悪質な行為を行うマニアも現れた。
1978年には
鈴鹿サーキットでスーパーカーレースの選手権まで開かれるようになった。
参考リンク
スーパーカーの代表的な存在として君臨したのが
ランボルギーニ・カウンタックだった。その他にも
フェラーリ・512BBや
ポルシェ・ターボなどが特に人気のあった車種である。スーパーカー人気が新たな需要も生み出し、この時期の日本には異常なほど多数の欧米製スーパーカーが輸入されたと言われる。正規代理店以外に
並行輸入業者も多数生まれた。世界中のどの国よりも路上でスーパーカーを多く見かけるのが日本、という説もあったほどだ。
ブーム当時、512BBを所有するゴルフ選手の
ジャンボ尾崎が、愛車の炎上事故に遭遇するという事があった。これは車自体の故障によるものと言われているが、レーサーの
生沢徹が「ああいう車は乗るものではなく飾るもの、乗る方が悪い」という趣旨のコメントを残している。生沢のコメントは、ある意味でスーパーカーというものの本質を突いているという見方もある。
紙切り芸の
林家正楽(2代目)が「
徹子の部屋」に出演した際、これまで苦労したことは何かと聞かれて「スーパーカーブームの頃は大変だった。
寄席に来た子供さんからスーパーカーを切ってくれというリクエストが多く、スーパーカーの名前と形を必死になって覚える必要があったから」と答えたことがある。
バブル期の日本におけるスーパーカーブームとその終焉
1970年代のスーパーカーブームから10年ほどたった1980年代末、日本は空前の
バブル景気に突入する。バブルで大金を手にした層がスーパーカーに食指を伸ばしたため、この時期の日本も一種のスーパーカーブームだったと言える。東京都心などではポルシェは日常の光景の一部で、フェラーリでさえ特に珍しい存在ではなかった。
フェラーリ・F40や
ポルシェ・959など、億単位の価格のスーパーカーが多数輸入され、さらにプレミア価格で転売されるなど、異常な状況が続いた。
こうしたブームも、バブルが崩壊した
1990年代に入ると、一気に冷えていく。さらに近年の株バブルとも言える
アメリカの好景気、欧州の
ポンド高、
ユーロ高、
中国や
東南アジア各国の経済急成長などにより、日本に大量に輸入されたスーパーカーの海外への流出が依然として続いている。つまり今や日本は、上質なスーパーカーが、結果的に世界一安価に入手できる状況と言える。
一方の背景として、これら「スーパーカー」は高速性能が売りの一つだったが、80年代、90年代をへて最高潮に達した日本の
ハイエンドスポーツカーとのその差が、出力などの分野ではほとんどなくなったということもある。
日産・スカイラインGT-Rや
トヨタ・スープラ、
マツダ・RX-7、
ホンダ・NSXなどは国内でこそ自主規制により出力を抑えられていたが、その本来のパワーは海外のスーパーカーに匹敵するほど高く、国内車は本来180km/hで燃料カットになるリミッターを外せばトップスピードでは250km/h以上になる。
新たな日本製スーパーカー
21世紀に入り日本人の自動車への趣向は、
コンパクトカーブーム・
ミニバンブームなど実用化に向かう中で、日本のスーパーカーはもちろん、スポーツカーも販売減が顕著になる。スカイラインGT-RやNSXの生産中止、
マツダ・ロードスター、
ホンダ・S2000などの販売減が例として挙げられる。日本におけるスーパーカーの需要はフェラーリやポルシェ、
アストンマーチン、アルファロメオ、シボレーなどの輸入車勢によって席巻されるかと思われた。
2007年にはスカイラインGT-Rの後継として
日産・GT-Rが発売され、日本の新たなスポーツカーとして注目されている。また、2008年以降には
ホンダ・NSXの後継車の登場が噂されるほか、トヨタも
レクサスブランドとして
V10エンジンを搭載した
レクサス・LF-Aの開発を進めており、新たな日本のスーパーカーの登場と活躍が期待される。
関連項目
外部リンク