サラゼンの家族は
イタリア・
ローマからアメリカに移住し、父親は大工であった。貧しい家庭に育った彼は、学校を6学年で中退し、子供の頃から色々な仕事を手伝ったが、10歳でキャディの仕事についたことがきっかけで
ゴルフを始めた。
1921年に19歳でプロゴルファーに転向し、この時にイタリア系の「エウゲニオ・サラセニ」から「ジーン・サラゼン」という名前に改名した。翌
1922年に
全米オープンと
全米プロゴルフでメジャー大会に年間2冠を獲得し、ここからサラゼンの歴史が始まる。
1923年には
マッチプレー方式の全米プロゴルフ選手権に2連覇を達成した。サラゼンは「プロゴルファー」として最初期の選手であったため、ライバルとして
ウォルター・ヘーゲンと戦う機会が多かった。それからしばらくメジャー大会の優勝から遠ざかった時期もあったが、
1932年に全米オープンで10年ぶり2度目の優勝を果たし、同年に
全英オープンでも初優勝を成し遂げた。
1933年に全米プロゴルフ選手権で10年ぶり3度目の優勝。
マスターズは
1934年に
ボビー・ジョーンズによって創設され、第1回大会の優勝者は
ホートン・スミスであった。サラゼンは第2回大会の優勝者となり、こうして現在の定義による「
キャリア・グランドスラム」を達成した。ジョーンズは
1930年に「年間グランドスラム」を達成した選手であるが、彼は生涯アマチュアを貫いた人であり、彼が1年間のうちにすべて制覇した大会は
全米オープンと
全英オープン、そして全米アマチュア選手権と全英アマチュア選手権であった。ジョーンズがマスターズを創設したことにより、ゴルフにおける「4大メジャー大会」の定義が変わり、2つのアマチュア大会に代わってマスターズと
全米プロゴルフ選手権がメジャー大会として扱われるようになった。したがって、サラゼンが(マスターズの創設前に)3度優勝した全米プロゴルフ選手権が公式な優勝記録として扱われる。メジャー大会通算「7勝」は、
アーノルド・パーマーらと並ぶ歴代7位タイ記録となった。
1974年に
世界ゴルフ殿堂が設立され、サラゼンは直ちに殿堂入りを果たす。翌
1975年に、サラゼンがコース設計を監修した「ジュンクラシック・カントリークラブ」(
JUN所有)が
栃木県那須郡小川町(現在の
那珂川町)に設立され、
1977年から彼の名前を冠した「ジーン・サラゼン・ジュンクラシック」がスタートした。サラゼンはこのトーナメントの主催者として毎年日本を訪れたことにより、日本のゴルフファンにとっては他の歴史的名選手に比べて馴染み深い存在となった。サラゼンは長寿に恵まれた人として、現役選手時代を一緒に戦った人たちの回想記も語り、これは日本語訳で読むことができる。(本記事の外部リンク参照)
1999年5月13日、ジーン・サラゼンは97歳の長寿を全うした。
メジャー大会優勝
関連項目
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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