執政官(しっせいかん、consul
コンスル)は、
古代ローマでの
政務官のひとつ。都市ローマの長であり、
共和政ローマの形式上の
元首に当たる。訳語として執政官のほかに
統領を用いることもある。
概要
執政官は共和政ローマにおける最高職である。定員は2名。平時は内政の最高責任者として政務を執り、戦時は
軍団を組織するとともに軍団の最高指揮官として軍務を掌握し、また戦場においては直接指揮を執った(つまり、
軍政と
軍令の責任者と同時に現場指揮官でもある)。この権限を
インペリウム(指揮権)と言った。他に、民会や元老院の召集権や議案提出権も保持した。加えて、もう一人の執政官や下位政務官の決定に対し
拒否権を行使する権限が与えられていた。また、非常時と認めた場合は、臨時の最高官職であるディクタトル(
独裁官)を指名する権限もあったが、実際には
元老院の協賛を得て指名されたとされている。小説家の
塩野七生は、執政官の権限を『首相兼防衛大臣兼統合参謀本部長』と例えている。
執政官は、元老院が候補者を選び(候補者資格を決定し)、
ケントゥリア民会での選挙により選任される。定員が2名とされたのは
独裁を防ぐためであり、それ以前の王政が復活するのを防ぐ意味もあった。任期は1年で、元来は再選は許されなかったが、次第に再選も許されるようになった。
執政官ほかインペリウム保持者には、先導警士(
リクトル)が付く特権があった。このリクトルは
ファスケス(fasces)と呼ばれる、斧の柄の周りにを棒を束ねたものを捧げ持ち、これはインペリウム保持者であることを示す権威の標章であった。
2名の執政官だけで対処できない事態が発生した場合などは、必要に応じて、執政官経験者にプロコンスル(前執政官)の職でインペリウムを与えて事態の収拾に当たらせることもあった。後にこの制度は常設化し、プロコンスルらに属州総督として属州経営を担わせた。
執政官は絶対的な権力であるインペリウムの保持者であったとは言え、元老院の権威は絶大であり、首都で行使される執政官の権力は元老院の強い意向を受けた。
新任の執政官は、毎年
1月1日(
紀元前153年より前は
3月1日)から任期が開始される。1月1日に就任する執政官は、正規執政官(consulus ordinarii)と呼ばれる。執政官が任期中に死亡すると後任が選挙によって選ばれる。この執政官はとくに補充執政官(consulus suffectus, 略して cons. suff.)と呼ばれた。
アウグストゥスによりローマが共和政から帝政に移行した後は、多くの属州総督(執政官経験者が就任する)を生み出す必要から正規執政官が死亡した場合だけではなく任期途中で辞任し、他の者に補充執政官として執政官職を経験させるようになる。場合によってはその補充執政官も任期前に辞任し、また他の補充執政官がその座を埋めることもあった。
コンモドゥスが皇帝だった190年にそれはピークを迎え、1年の間になんと25名もの執政官経験者が誕生した。
古代ローマでは、以下に例示するように、正規執政官の名を書くことで、その年を表した。
- 「Imperator Caesar Augustus と Marcus Vipsanius Agrippa が執政官の年」(西暦では紀元前27年に相当)
歴史
執政官が初めて置かれたのは、伝説では共和政へ移行された
紀元前509年と信じられている。しかし初期のローマ共和国史は伝説の域を出ず、また執政官も連続して置かれたわけではなかった。当初は執政官の名は「
プラエトル」と呼ばれていたらしいが、
紀元前305年より「
コンスル」という名において引き継がれたという。
戦時において選出される執政官には、軍事的才能と名声が重んじられたが、その権限ゆえに執政官の選挙は常に政治的な関心を集めた。初期には執政官は貴族(
パトリキ)のみに独占され、
紀元前366年はじめて平民(
プレブス)が執政官となったが、それまでに執政官の選定はしばしばこの時代のパトリキ、プレブスの党争の原因となり、このような対立を避けるために共和政ローマの一時期執政官は一時休職とし、暫定的に6人までの
執政官格軍司令官という官職が設置され、またたびたび元老院によって
独裁官が置かれることがあった。対立が緩和され
リキニウス・セクスティウス法が公布されると、ふたたび執政官が最高位官職となった。
共和政を廃し帝政に移行した後も2名ずつ執政官は置かれ続け、
皇帝やその後継候補者が就く栄職として残った。しかし
541年、
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によって官職としては廃止され、名誉的な爵位の名前(7世紀に
ギリシャ語が公用語になって以降は、ギリシャ語の「ヒュパトス」)として残るのみとなった。
執政官の名は後の歴史にも幾度か用いられている。領事館制度を創設した
ヴェネツィア共和国では、その
領事にコンスルの称号を名乗らせた(領事官に consul の名が残っているのはそのためである)。また古代ローマへの強い憧憬のもとにあった
革命前後のフランスでは、
ブリュメールのクーデター後に成立した政府の首班に consul(執政、または統領)の語が使われている。
脚注
関連項目