シカゴ郊外の
イリノイ州ホイートンに生まれた。アーマー工科大学(後のイリノイ工科大学)で
無線工学を学んだ。
アマチュア無線の愛好者で1933年から1947年の間、シカゴのいろいろなラジオ製造会社で働いた。1933年
カール・ジャンスキーの宇宙から電波の発見を知って、ジャンスキーの働いている
ベル研究所で働こうとしたが、
大恐慌の時代であったため、仕事を得ることはできなかった。ホイートンの自宅の裏庭に、自作の電波望遠鏡を作った。レーバーの設計は直径9mの放物面反射鏡が取り付けられ8m上空の受信機に電波を集めるようにしたのはジャンスキーの受信機より優れていた。装置全体は回転させることはできなかったが、傾けて方向を変えることができるようになっていた。電波望遠鏡は1937年に完成した。3300MHz、900MHzの帯域では電波を捕らえられなかったが1938年、160MHzの電波を捕らえて、ジャンスキーの発見を確認した。全天の電波源の分布を調べる仕事を行い、1941年までに完成し、1943年までにさらに充実させた。これらの結果を発表したことで、
第二次世界大戦後の電波天文学の爆発的な発展の先駆者となった。1947年に
ヴァージニア大学に装置を移し、観測主任となった。1951年からハワイで観測し、1954年から超長波の観測に適した
タスマニアに移住した。1957年に
ウエストバージニア州の国立電波天文台に歴史的記念碑としてレーバーの電波望遠鏡とジャンスキーの望遠鏡を復元させた。2002年にタスマニアで生涯を閉じた。
賞・叙勲等
賞
-
ブルース・メダル(1962年)
- 米国天文学会 ヘンリー・ノリス・ラッセル講師職(1962年)
- 王立天文学会 Jackson-Gwilt Medal(1983年)
命名
外部リンク
れは くろと
れは くろと
れは くろと
----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
ご利用上の注意