略歴
彼は第2代グルに息子を選ばずに、信仰心のあついアンガドを指名した。息子はすねて独立してウダーシー派を結成した。
思想
身分差別の激しい
カースト制には否定的であり、また礼拝後には男女貴賎を問わず、すべての人が同じ場所に座り同じ食べ物を分けあう事を奨励した。これはヒンドゥー教がカーストが異なると一緒に食事をしないことに対する批判である。
宗教改革者
カビールと
イスラーム神秘主義
スーフィズムの影響を受けている。カビールの思想とグル・ナーナクの思想は大変似ているが、違う点はカビールが
タントラ(密教)の影響を受けているのに対し、グル・ナーナクにはそれがないことである。カビールと対面したかどうかはカビールの生没年がはっきりしないこともあって、学者によって意見が異なるが、現在主流の説では
1440年誕生で
1516年死亡なので、これなら出会った可能性はあることになる。
グル・ナーナクの教える神は形がなく、人格を持ち、慈愛深く、
一神教で、偶像を持たなく、定まった神の名前を持たない、つまり
アラーも
ヴィシュヌも同じ神の異名にすぎないということである。
グル・ナーナクは数珠を首にかけ、頭にターバンを巻きヒンドゥー教とイスラーム教の両方の身なりをしていた。
グル・ナーナクの教えをヒンドゥー教とイスラーム教の折衷であるという人がいるが、ナーナクはヒンドゥー教でもなくイスラーム教でもない諸宗教の本質を追求したのである。
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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