1990年にプロ入り。
1993年までPGAツアーの下部組織(当時の名称は「ナイキ・ツアー」)を回り、
1994年からPGAツアーに参戦を開始したが、最初の時期はシード権確保に必要な賞金を獲得できず、
1996年末の「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School)に落ちたことから、
1997年の1年間ナイキ・ツアーに逆戻りしたこともある。
1998年からPGAツアーのシード選手に復帰し、
2000年9月17日に「SEIペンシルバニア・クラシック」でツアー初優勝。ディマルコが世界的な知名度を獲得したのは、
2001年の
マスターズで予選ラウンドの2日間を首位で回った時からである。この大会では決勝ラウンドの2日間にスコアを落とし、最終順位は10位タイ(-8, 280ストローク)で終わった。同年10月28日、「ビュイック・チャレンジ」で
デビッド・デュバルとの
プレーオフに勝ち、ツアー2勝目を挙げる。
2002年1月27日、「フェニックス・オープン」で
日本の
横尾要を1打差で振り切って優勝し、ツアー3勝目を飾った。ディマルコの
PGAツアー優勝は、現時点ではこの「フェニックス・オープン」で途切れているが、それでも多くの大会で優勝争いに顔を出し、世界ランキングも上位に定着してきた。
2006年1月にヨーロッパ・ゴルフツアーの「
アブダビ・ゴルフ選手権」で優勝し、国際試合で初優勝を飾っている。
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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