来歴
長身に加え、
スキンヘッドに後頭部のみに髪を束ねる
辮髪(現在はスキンヘッド)に
鬚をたくわえた容姿からモンゴリアン・スタイルまたは
モンゴル人スタイルのプロレスラーとして形容される機会が多い(ただし辮髪は
満州族の髪型であり、モンゴル・スタイルの
ギミックとは矛盾があった)。リングには毛皮で作られたモンゴル帽子をかぶり同じく毛皮のベストを着て登場した。
WWF参戦時代の
1981年5月2日に身長2mを超す大巨人の異名をもつ
アンドレ・ザ・ジャイアントの右足を
骨折させたプロレスラーとして
米国で名を馳せ、海外で成功した数少ないファイターの一人として引退後も人気投票では話題に上る(実際にはアクシデントでアンドレが足を故障した際に、それをカバーしようとアドリブのフライング・ニードロップで痛めつけたというのが真相。この一件で
ビンス・マクマホン・シニアに気に入られたという)。使用した
リングネームとしてはテムヒン・エル・モンゴル(Temja El Mongol, Temjin El Mongol、戦うモンゴリアン、モンゴルの怪人?)、テムジン・モンゴル等がある。
翌年、「アンドレの足を折った男」のギミックで凱旋帰国。
1982年4月の
MSGシリーズメーンエベント優勝戦では
猪木負傷欠場(
糖尿病の悪化という説も)の代打としてアンドレと一騎打ちを行い敗れはしたもののファンの大「オザワ・コール」に押されて生涯屈指の名勝負を演じた。年末のMSGタッグ・リーグ戦では
タイガー戸口と組んで、準優勝を果たす。その後、戸口とともに
長州力の維新軍団に入り、新日本プロレスの反体制勢力にまわる。
1985年、長州らとともに
ジャパンプロレス勢として
全日本プロレスのリングに上がる。同年9月には
谷津嘉章と組んで
ジャンボ鶴田&
天龍源一郎の
インターナショナル・タッグ王座に挑戦(もっとも王者コンビからは「たたきのめして長州を引きずり出してやる」と言われてしまった)。
1986年に突然ジャパンプロレス勢と仲間割れし、
ロード・ウォリアーズ対
スーパー・ストロングマシン、
高野俊二(後に拳磁)のセコンドに付いたカーンが試合に介入した際、ウォリアーズに返り討ちに合い、ボコボコにされてるところ堪り兼ねて出てきた元同胞(ジャパンプロレス勢)の長州に助け出されるが、なんとカーンはウォリアーズが去った後に長州力をボコボコにする。この試合で実況担当をした
日本テレビの
若林健治アナウンサーは「恩知らずのキラーカーン」と形容した。その後コーナー・ポスト最上段からリング下の長州・谷津をアルバトロス殺法(フライング・ニードロップ)で攻撃し長州を失神、谷津を病院送りにし全日本プロレスのリングを去り、再びアメリカで一匹狼として活躍する。一時期、
テリー・ゴディ・マイケル・ヘイズらが結成したフリー・バーズのメンバーで1986年の
世界最強タッグ決定リーグ戦にはゴディとのコンビで出場している。
プロレスラー引退後もキラー・カンを名乗り、料理店経営のかたわらバラエティー等各種メディアで活躍する。現在も経営する
歌舞伎町の料理店では生前の
尾崎豊も食べたという特製
カレーライスが看板メニュー。
2005年には「ふるさと真っ赤か」でCDデビュー。「ロイ白川 心の演歌」(
とちぎテレビ)にセミレギュラー出演している。
略歴
大相撲時代
主な成績
プロレス時代
得意技
リングの四隅に立つコーナーポスト上段から跳び降り両膝で相手を襲うニードロップはフライングニードロップと呼ばれ、併せて奇声をあげながら跳び下りる様から
アルバトロス殺法と呼ばれた。また、同様に奇声を上げながら両手により首元を狙う
チョップはモンゴリアン・チョップと呼ばれた。
賞歴
戦績
- WWF
- 1987年5月2日:ネルソン・ビュールックス(Nelson Veilleux)に勝利
- 1987年5月9日:マイク・リチャーズ(Mike Richards)に勝利
- 1987年5月16日:リック・ハンター(Rick Hunter)に勝利、
- 1987年6月20日:ブライアン・コステロ(Brian Costello)に勝利
- 1987年7月4日:アウトバック・ジャック(Outback Jack)に勝利
- 1987年8月1日:エリック・クーパー(Eric Cooper)に勝利。
- 1987年8月22日:ビリー・ゴールデン(Billy Golden)に勝利
- 1987年9月5日:マイク・スター(Mike Starr)に勝利
- 1987年10月3日:マイク・リチャーズ(Mike Richards)に勝利
- 1987年11月7日:カート・ホフマン(Kurt Hoffman)に勝利
逸話
- プロレスラーで1・2を争う喉自慢である。ジャイアント馬場も彼の歌声を愛した。
- そのジャイアント馬場とは同じ新潟県出身者。団体は違えど、馬場はカーンのことをよく気にかけていたという。馬場との巨人タッグを結成する計画もあった。
- ごつい見た目とは裏腹に、根は優しい性格。引退後サービス業で頭角を現したのも、さもありなん。
- 『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』のプロレスクイズでも獅子奮迅の活躍(?)をしダチョウ倶楽部を退けた(それもあってかDVDの特典映像である歴代優勝者座談会の中でビートたけしからMVPの称号を与えられた)。
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スタン・ハンセンが全日本プロレスに電撃移籍した報復として、新日本プロレスはテッド・デビアスの引き抜きを計画。その際交渉にあたったのがキラー・カーンだった。交渉は成功し内諾を得ていたが、契約直前に両団体間で紳士協定が結ばれたため白紙撤回となる。
メディア
プロレスラー引退後、俳優・歌手としてデビュー。
-
ふぞろいの林檎たち(1991年)
- ハロー張りネズミ(1991年)
- エバラ家の人々(1991年)
- 必殺スペシャル 世にも不思議な大仕事 主水と秀香港マカオで大暴れ(1991年)
- 極道ステーキ・シリーズ(1991年-1992年)
- Zの回路 復讐の裏ゴト師(1996年)
- NINE-ONE II 魔獣都市・シリーズ(1996年)
- MUSASHI(1996年)
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逃亡者 おりん(2006年)
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ライオン丸G(2006年)
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巣鴨バラエティ横丁 第2話(2007年)
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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