音楽を中心に文化大国としての歴史も有する。
国名
正式名称は、
Republik Österreich ()。
通称、
。
Ö [øː] は正確には日本語の「エ」ではなく「オ」と「エ」の中間のような音だが、日本語では「エ(ー)」で表記する慣習がある。er は現代の発音では音節末で 「ア」
ɐ(
中舌狭めの広母音)となり、 ドイツ語では短母音だが、日本語では「アー」と表記される習慣がある。ウィーンなどの現地では、「エースタ・ライヒ:
'ø:stɐraɪç」と、南ドイツ語の特徴である滑らかな発音をするのが正しいとされる。
公式の英語表記は、
Republic of Austria。通称、
Austria 。日本語の表記は、
オーストリア共和国。通称、
オーストリア。漢字表記では
墺太利(略表記:
墺)と記される。ドイツ語の表記や発音を考慮した日本語表記は
エースターライヒ、
エスターライヒまたは
エステルライヒである。
国名(
Österreich)は、ドイツ語で「東の国」という意味である。ドイツ語の
reich(
ライヒ)はしばしば「帝国」と訳されるが、フランスのドイツ語名は現在でも
Frankreich(フランクライヒ)であるように、語源的には「帝国」という意味ではない。
reich には「帝国」の意味のほか、王国、国、(特定の)世界、領域、(動植物の)界という意味が含まれている。
オーストラリアとの混同
の道路標識「カンガルーに注意」]]
日本国内にてオーストリアはしばしばオーストラリアと間違われるが、オーストラリアはラテン語で「南の地」に由来し、オーストリアとは語源的にも無関係である。
オーストリア
大使館とオーストラリア大使館を間違える人もおり、
東京都港区元麻布のオーストリア大使館には、同じく港区
三田の「オーストラリア大使館」への地図が掲げられている。
2005年日本国際博覧会(愛知万博)のオーストリア・
パビリオンで配布された冊子では、日本人にオーストラリアとしばしば混同されることを取り上げ、オーストリアを「オース
鳥ア」、オーストラリアを「オース
虎リア」と覚える様に呼びかけている。
両国名の混同は日本だけではなく英語圏の国にも広く見られ、聞き取りにくい場合は"European"(ヨーロッパのオーストリア)が付け加える場合がある。しばしば
ジョークなどに登場し、オーストリアの土産物屋などでは、黄色い◆型に
カンガルーの
シルエットを黒く描いた「カンガルーに注意」を意味するオーストラリアの
道路標識に、「NO KANGAROOS IN AUSTRIA (オーストリアにカンガルーはいない)」と書き加えたデザインの
Tシャツなどが売られている。
オーストリー
2006年10月、駐日オーストリア
大使館商務部は、オーストラリアとの混同を防ぐため、国名の日本語表記を「オーストリア」から「
オーストリー」に変更すると発表した。オーストリーという表記は、19世紀から1945年まで使われていた「オウストリ」という表記に基づいているとされた。
発表は大使館の一部局である商務部によるものだったが、署名はペーター・モーザー
大使(当時)とエルンスト・ラーシャン商務
参事官(商務部の長)の連名(肩書きはすでに「駐日オーストリー大使」「駐日オーストリー大使館商務参事官」だった)で、大使館および商務部で現在変更中だとされ、全面的な変更を思わせるものだった。
しかし2006年11月、大使は、国名表記を決定する裁量は日本国にあり、
日本国外務省への国名変更要請はしていないため、公式な日本語表記はオーストリアのままであると発表した。ただし、オーストリーという表記が広まることにより、オーストラリアと混同されることが少なくなることを願っているとされた。
その後、大使館商務部以外では、大使館、日本の
官公庁、
マスコミュニケーションなどに「オーストリー」を使う動きは見られない。たとえば、2007年5月4日の
朝日新聞の記事では、同国を「オーストリア」と表記している。
大使館商務部の公式サイトは、しばらくは一貫して「オーストリー」を使っていた。しかし、2007年のサイト移転・リニューアルと前後して(正確な時期は不明)、大使館商務部のサイトでも基本的に「オーストリア」を使うようになった。「オーストリー」については、わが国の日本語名はオーストリア共和国であると断った上で
- オーストリーの使用はそれぞれの企業の判断にゆだねる
- マーケティングで生産国が重要な企業にはオーストリーの使用を提案する
- 「オーストリーワイン」がその成功例である
などと述べるにとどまっている。
歴史
当時のヨーロッパ]]
のウィーン]]
のオーストリア・ハンガリー帝国]]
政治
の
国民議会]]
政体は連邦共和制。
議会は4年毎に国民から選挙で選ばれる183議席の
国民議会(
Nationalrat)と各州議会から送られる62議席の
連邦議会(
Bundesrat)から成る二院制の議会制民主主義国家。国民に選挙で選ばれる国民議会の議決は連邦議会のそれに優先する。連邦議会は州に関連する法案にしか絶対拒否権を行使できない。
国家元首の
連邦大統領 (
Bundespräsident) は国民の直接選挙で選ばれる。任期は6年。大統領就任宣誓式は国民議会ならびに連邦議会の議員を構成員とする
連邦会議(
Bundesversammlung)で行われる。連邦会議は非常設の連邦機関で、この他に任期満了前の大統領の罷免の国民投票の実施、大統領への刑事訴追の承認、宣戦布告の決定、大統領を憲法裁判所へ告発する承認がある。連邦政府の首班は
連邦首相 (
Bundeskanzler)。連邦政府は国民議会における内閣不信任案の可決か、大統領による罷免しか交代することはない。
政党には、中道右派の
オーストリア国民党(ÖVP)・中道左派の
オーストリア社会民主党(SPÖ, 旧オーストリア社会党、1945-91)・極右の
オーストリア自由党(FPÖ)・同党から分かれて成立した
オーストリア未来同盟(BZÖ, 自由党の主要議員はこちらに移動した。)・環境保護を掲げる緑の党がある。
2006年の国民議会選挙で社会民主党が第1党となったため、2007年まで7年間続いた中道右派・オーストリア国民党と極右派(自由党→オーストリア未来同盟)との連立政権が解消され、中道左派・社会民主党と国民党の
大連立に移行した。2008年7月に国民党が連立解消を決め、9月に国民議会選挙が実施された。その結果、社会民主党と国民党の第1党・第2党の関係は変わらなかったものの、両党ともに議席をこの選挙で躍進した極右派の自由党と未来同盟に奪われる形となった。その後およそ2か月にわたる協議を経て、社会民主党と国民党は再び連立を組むこととなった。中道右派、中道左派、極右派は
第一共和国時代のキリスト教社会党・
オーストリア社会民主労働党・ドイツ民族主義派(諸政党…「農民同盟」、「大ドイツ人党」、「
護国団」などの連合体)の3党に由来しており、1世紀近くにわたって3派共立の政党スタイルが確立していた。
国際関係
オーストリア共和国は
第二次世界大戦後の
連合国による占領を経て、
1955年に
永世中立を条件に独立を認められ、以来東西冷戦中もその立場を堅持してきた。
1960年の
EFTA結成時からメンバー国だったが1995年の
EU加盟に伴い脱退した。EFTAは対
EEC(現在ECとして
EUの一部)として結成されたため、EFTA加盟の他の国もEEC (EC) 加盟により脱退している。
加盟した
EUにおいては軍事面についても統合がすすめられており、永世中立国は形骸化との指摘がある。国民の間には永世中立国堅持支持も多いが、非永世中立国化への方針が2001年1月の閣議決定による国家安全保障ドクトリンにおいて公式に記述されたことにより、国内で議論がおこっている。
歴史的、地理的に
中欧・
東欧や西
バルカンの国と関係が深く、
クロアチアなどのEU加盟に向けた働きかけを積極的に行っている。
トルコのEU加盟には消極的な立場をとっている。日本とは
1869年に
日墺修好通商航海条約を締結して以来友好な関係であるが、
第一次世界大戦では敵対した。特に音楽方面での交流が盛んである。
行政区分
}}
オーストリアの地方名
州と都市
地理
国土面積は
日本の
北海道とほぼ同じ大きさである。オーストリアの地形は大きく
アルプス山脈、パンノニア低地の一部、ウィーン盆地、ボヘミア高地に分けられる。
気候
気候は大きく3つに大別される。東部は大陸的なパンノニア低地気候、アルプス地方は降水量が多く、夏が短く冬が長いアルプス型気候、その他の地域は中部ヨーロッパの過渡的な気候である。
経済
2005年の
一人当たりGDPは世界第10位に位置し、経済的に豊かな国である。主要産業としては、
シュタイアーマルク州の自動車産業、
オーバーエスターライヒ州の鉄鋼業などがある。大企業はないものの、ドイツ企業の下請け的な役割の中小企業がオーストリア経済の中心を担っている。
ウィーンや
ザルツブルク、
チロルを中心に観光産業も盛んである。失業率は他の欧州諸国と比較して低い。欧州の地理的中心にあることから近年日本企業の欧州拠点、工場なども増加しつつある。オーストリアにとり日本はアジア有数の貿易相手国である。ヨーロッパを代表する音響機器メーカーとして歴史を持つ
AKGは、クラシック愛好者を中心に日本でも有名である。
交通
鉄道
ÖBB(オーストリア国鉄)が主要幹線を網羅しており、山岳部では、登山列車なども運行している。
航空
ウィーン、インスブルック、ザルツブルク、グラーツ、クラーゲンフルトの各都市に国際空港がある。
日本からの直行便は、
オーストリア航空のウィーン・東京間のみ。しかし乗継便は便利で、インスブルック、ザルツブルクなど各都市に1時間前後で移動できる。
ウィーン国際空港では、ドイツ語の案内放送の後、英語で案内放送がある。
金融
バンク・オーストリア、エアステ銀行、ライフアイゼンバンク、BAWAG、フォルクスバンクが主要銀行である。
国民
言語
ドイツ語が
公用語であり、ほとんどの住民が日常使っている言語でもある。ただし、日常の
口語で使われているのは標準ドイツ語ではなく、ドイツ南部等と同じ上部ドイツ語(Oberdeutsch)系の方言である。この方言は、フォアアールベルク州で話されているものを除き、
バイエルンと同じ区画に属する
バイエルン・オーストリア語である。オーストリアでは、
テレビ、
ラジオの放送などでは標準ドイツ語が使われているが、独特の発音や言い回しが残っているため、ドイツで使われている標準ドイツ語とは異なる。
標準ドイツ語では有声で発音されるsの音はオーストリアにおいては無声で発音されることが多い。
またオーストリア内でも多くの違いがあり、ウィーンやグラーツなどで話されている東オーストリアの方言と西オーストリアのチロル州の方言は随分異なる。
東オーストリアの方言では
- -l
- Mädl(Mädchen)
- nの後にlがくる場合、nがdになる:Pfandl(< Pfann(e) フライパン)、Mandl(< Mann 人、男)
- -erl
- Kipferl
- Ein Momenterl (少々お待ちください)
となる。
南部のケルンテン州にはスロベニア人も居住し、Windisch(ドイツ語とスロベニア語の混声語)と呼ばれる方言も話されている。首都ウィーンの方言は「ヴィーナリッシュ(ウィーン訛り)」として知られ、かつての
オーストリア=ハンガリー帝国の領土だった
ハンガリー・
チェコ・
イタリアなどの諸国の言語の影響が残っていると言われている。
また、単語レベルでみた場合、ドイツと異なる語彙も数多く存在する他、ドイツとオーストリアで意味が異なる単語もあるので注意が必要である。
- Kategorie:Österreichische Sprache - オーストリアのドイツ語に関するリンク集。
宗教
民族
ドイツ語を
母語とする
オーストリア人は全人口の91.1%を占める。血統的にはゲルマン系にスラヴ系、ラテン系、ハンガリー系、トルコ系などが入り混じっており雑多であるが、ゲルマン系言語であるドイツ語を母語とするため、オーストリア人は通常
ゲルマン民族とみなされる。
オーストリア人は
ドイツ人に含まれるのか、という問題は戦後意識的に避けられてきたが、近年急速にクローズアップされている。元々オーストリアは
プロイセン、
バイエルン等と同じくドイツを構成する分邦のひとつであり(古くはバイエルンの一部であり、ドイツ人を支族別に分けるとオーストリア人は
バイエルン族である。ただし、バイエルン族はゲルマンではなく
ケルト系だという見解もある。)、しかも12~19世紀の間、オーストリア大公家である
ハプスブルク家がドイツ帝国(
神聖ローマ帝国)の帝位や
ドイツ連邦議長国の座を独占していた。そのため、オーストリア人こそ新興のプロイセン人などよりむしろ
ドイツ民族の本流であるという考え方が、20世紀前半までは残っていた。
よく、オーストリアは南端に位置し、ハンガリーやスラブ諸国との交流が深いため、ドイツ民族としての純度は低いという論がある。しかし、これは北端にあってポーランドと関係密接なプロイセンも同様であり、神聖ローマ帝国が形骸化していたとはいえ長年ドイツ諸邦の盟主だった歴史は無視できない。オーストリア・ハンガリー二重帝国の崩壊によって、オーストリアの国土がドイツ人居住地域に限定されると、左右を問わずに
ドイツへの合併を求める声が高まり、一時は「ドイツ・オーストリア共和国」という国名を名乗ってさえいた。
しかし、この
民族自決論を逆手に取って、オーストリアのみならずヨーロッパ中に惨禍を招いたオーストリア人
ヒトラーの所業に対する反省から、戦後は「ドイツ人と異なるオーストリア人」という国民意識が誕生し、浸透した。1945年のブリタニカ百科事典には、オーストリアをドイツから除外したビスマルク体制の方が歴史的例外なのであってヒトラーの
独墺合併は元の自然な形に戻したにすぎないという記述があり、連合国側にすら戦後の統一ドイツ維持を支持する見方があったことを伺わせる。しかし実際は両国民とも悪夢のようなナチス時代の記憶から分離のほうが望ましいと考えており、ドイツ側はさらにソヴィエト占領地区の分離が余儀なくされていた。こうして3つの国家(オーストリア、
東ドイツ、西ドイツ)、2つの国民、1つの民族と呼ばれる時代が始まる。オーストリア側ではドイツ人と別個の国民であるの意識が育ち、さらには
エスニシティにおいてもドイツ民族とは異なるオーストリア民族であると自己規定する人も現れた。しかしながら、
ドイツ統一、欧州連合加盟以降、ドイツ民族主義が再び急伸した。2000年から2007年にかけて、ドイツ民族主義者系の極右政党が連立与党に加わり、国際的に波紋を呼んだのもそうした風潮と関連している。
「ドイツ人」という言葉には、国家・国民以前に「
ドイツ語を話す人」というニュアンスが強い。ドイツ語は
英語や
フランス語と違ってほとんど他民族では母語化しなかったため、これが民族概念と不可分となっている。オーストリアでは「ドイッチェ~」で始まる市町村名が、東南部をはじめ数多く見られる。また、1970年代における
ブルゲンラント州、
ケルンテン州でのハンガリー系、スラブ系住民の比率調査では、もう一方の選択肢は「ドイツ人」だった。近年の民族主義的傾向には、こうした言語民族文化の再確認という側面が見られる反面、拡大EUにおける一等市民=ドイツ人として差別主義的に結束しようとする傾向も否めない。
今日ウィーン市内では、
ドイツ国歌を高唱する右派の学生集会なども見られ、政治的には外国であるドイツを歌詞で「わが祖国」と連呼する光景は、外国人観光客などから奇異の目で見られている。ただし、元をただせば現在のドイツ国歌は、
ハイドンが神聖ローマ皇帝
フランツ2世を讃えるために作曲した『
神よ、皇帝フランツを守り給え』の歌詞を替えたものであり、19世紀後半には
オーストリア帝国の国歌となっていた。作曲当時はオーストリア国家は存在せず、フランツ2世は形式的には直轄地オーストリア地域をふくめる全ドイツ人の皇帝だったので、両国共通のルーツを持つ歌ともいえる。ちなみにそのハプスブルク家当主は、現在ドイツ選出の欧州議会議員である。
現在のドイツ民族主義者たちに、かつてのように統一国家の樹立を掲げている者はほとんどいない。特にオーストリア側においてはなおのことである。(ただし合併ではなく現オーストリアの国名を「ドイツ・オーストリア共和国」に戻す主張は右派に根強い)。いわば民族の文化的、精神的結束を重んじるものであり、それだけにイタリアの
南チロル、フランスの
アルザスなど、隣国のドイツ系住民地域への影響、EU内でのドイツ語
コミューンの形成を不安視する声もある。EUに囲まれた未加盟国であり、長らく独・仏・伊3民族の共存国家として平穏を保ってきた(しかもドイツ系が圧倒的に多い)スイスにおいても同様である。
ブルゲンラント州は
1918年までは
ハンガリー王国側だったため、今日でもハンガリー系、クロアチア系が多い。
ケルンテン州にはスロベニア系も居住している。両州の少数民族は1970年代における調査によれば1~2%であるが、自己申告制であるため、実際にはドイツ人と申告した中にも若干の外国系住民が含まれると思われる。そのため、標識や学校授業に第2言語を取り入れている地域もある。
文化
音楽
]]
の歴代君主が主に
離宮として使用した
シェーンブルン宮殿]]
オーストリア人の音楽文化への態度は保守的と評されたのも、今は昔の話であり、傑出した作曲家が若手の世代からデビューすることも増えてきた。近年では
キプロスや
ポーランドといった国の出身の者がオーストリアへ市民権を移し、オーストリア人によって積極的に評価され優れた作品を生むものも存在する。クラシック音楽のみならず、即興音楽や
テクノなどのジャンルに於いても、未来をになう人材を輩出中である。また、国が芸術家を支援する態度も充実しており、才能があればすぐ委嘱がくるとまで言われている。
インターネットラジオも、充実度が高い。
クラシック音楽
オーストリアからは多くの
作曲家・
演奏家を輩出し、ドイツ圏全体として圧倒的に世界一の
クラシック音楽大国として知られ、名門オーケストラや国立歌劇場、音楽学校を擁する首都ウィーンは「音楽の都」と呼ばれている。特にこの分野に大物作曲家をあまり輩出していない日本や英米においては強い権威を誇る。作曲家人気調査などでは上位三傑はドイツのベートーヴェン、バッハにオーストリアのモーツァルトが加わるのが常であり、十傑出でも多くのオーストリア出身者(他にはブルックナー、シューベルト、マーラーなど)が入る状況である。実際には
18世紀半ばまではイタリアやフランスの方がどちらかといえば音楽先進国であり(例えば、モーツァルトのオペラの大半は、台詞が
イタリア語で書かれている)、音楽大国ドイツ・オーストリアの歴史は18世紀後半に
ヴィーン古典派の台頭とともに急速に形成されたものではあるが、現況として愛好されているクラシック音楽としてはやはりずば抜けた割合を占めていることは事実である。演奏家については、ナチスの迫害によってユダヤ系を中心に人材が流出してしまったことなどから急速に人材が乏しくなったが、最近は回復傾向にある。音楽家についてはオーストリアの作曲家を参照。
食文化
スポーツ
冬季オリンピックで数多くのメダルを獲得することから分かるように、
ウィンタースポーツが盛んに行われている。中でも
アルペンスキーは絶大な人気を誇り、
冬季オリンピックで計4個のメダルを獲得しているヘルマン・マイアーは国民的スターである。2006-07年シーズンでは男女計12種目のうち実に7種目をオーストリア人選手が制覇している。
自転車ロードレースでは、ゲオルク・トーチニヒが
ツール・ド・フランスや
ジロ・デ・イタリアといった世界最高峰のレースで活躍した。オーストリア最大のステージレース(複数の日数にわたって行われるレース)「エースターライヒ・ルントファールト(オーストリア一周:Österreich-Rundfahrt)」は「HC
(ハイクラス)」という高いカテゴリーに分類されており、ツール・ド・フランスと同時期の7月に開催されるが、その年のツール・ド・フランスに出場しない大物選手が数多く出場している。
世界遺産
ユネスコの
世界遺産リストに登録された文化遺産が7件ある。さらにハンガリーとにまたがって1件の文化遺産が登録されている。
祝祭日
有名な出身者
ウィーンでは、オーストリア・ハンガリー各地の出身者が活躍した。
脚注
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他
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