オイルショックは、
1970年代に二度あった、
原油の供給逼迫および
価格高騰と、それに伴う経済混乱のことを指す。
石油危機、
石油ショック、
オイルクライシス(oil crisis)とも称される。英語圏では、オイルショックは、(oiru shokku)と
日本語扱いされている。
第一次オイルショック
発生
対策
当時の日本は中東の政治に深く関わってはおらず、イスラエルを直接支援したこともなく、中立の立場であった。しかし、最大のイスラエル支援国家である
アメリカ合衆国と強固な
同盟関係にあった日本では、イスラエル支援国家とみなされる可能性が高く、急遽
三木武夫副総理を中東諸国に派遣して日本の立場を説明して支援国家リストから外す様に交渉する一方で、
国民生活安定緊急措置法・
石油需給適正化法を制定して事態の深刻化に対応した。
の推移。インフレ抑制のため1974年頃と1980年代初頭は高い金利になっている。]]
更に石油価格の上昇は、エネルギーを中東の石油に依存してきた
先進工業国の経済を脅かした。日本でも、
ニクソン・ショックから立ち直りかけていた景気を直撃。前年からの
列島改造ブームによる地価急騰で急速な
インフレが発生していたが、オイルショックにより相次いだ便乗値上げなどにより、さらにインフレが加速されることとなった。国内の
消費者物価指数で
1974年は23%上昇し、「
狂乱物価」という造語まで生まれた。
インフレ抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などを抑制す。結果1974年は-1.2%と戦後初めて、マイナス成長を経験し、
高度経済成長がここに終焉を迎えた。
影響
1973年(昭和48年)11月16日 石油緊急対策要綱を閣議決定、「総需要抑制策」が執られる。結果、日本国内の消費は低迷し、大型公共事業が凍結・縮小された。
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トイレットペーパーや洗剤など、原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動(トイレットペーパー騒動)、デパートのエスカレータの運転中止などの社会現象も発生した。
- 競争力を失った「構造不況業種」を縮小させ、成長分野に資源を振り向ける「積極的調整政策」。素材産業の不振、加工組立産業の成長。
- 雇用調整(新規採用の停止、残業時間の短縮など)
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テレビの深夜放送の休止。特にNHKは教育、総合両方ともに23時以降の放送を休止と日中(総合ではUHFテレビ試験放送を含め月~金曜日の15時~16時台前半。なお、国会中継や高校野球中継が行われた場合は休止時間帯でも放送されていた。教育では14時30分~17時30分の内1~3時間)の放送休止。(その当時のNHKにおける休止アナウンスの録音)なお、民放5社が深夜放送の自粛を決定したのは、1973年12月14日。
- 優良企業の銀行離れが進む。間接金融から直接金融(株式発行など)、内部資金依存へ
日本の国産旅客機
YS-11の生産中止はオイルショックの影響だと一部で語られることがある。確かにYS-11の生産中止の時期は第一次オイルショックと重なるが、すでに、
1970年末の政府決定により生産が中止されていたので、これは誤りである(正確には約20機分の追加生産用の資材調達が中止になった)。
他に、
本州四国連絡橋3ルートの着工延期の指示が下った。起工式5日前の事であった。その後、計画された3ルートのうち、1ルート(
瀬戸大橋)のみ、着工が1975年に決定した。
第二次オイルショック
1978年の
イラン革命により、
イランでの石油生産が中断したため、イランから大量の原油を購入していた日本は需給が逼迫した。また、
1978年末に
OPECが「翌
1979年より原油価格を4段階に分けて計14.5%値上げする」ことを決定し、
原油価格が上昇(余談だが、4段階目の値上げについては総会で合意が形成できなかった)。第一次オイルショック並に原油価格が高騰した。
しかし、第一次での学習効果、
省エネルギー政策の浸透(深夜のテレビ番組放送の自粛や、第一次同様の
ガソリンスタンドの日曜祝日休業などが行われた)、企業の合理化効果などにより、日本経済に対する影響は第一次オイルショックほどひどいものにはならなかった。また第一次の頃ほど値上げは長引かず、イランも石油販売を再開し、数年後には価格下落に転じて危機を免れた。
オイルショックの与えた影響
先進国の経済が
中東の石油に極端に依存していることが明白となった。中東以外での新しい油田開発、調査が積極的に行われるようになった。
原子力や
風力、
太陽光など非石油エネルギーの活用の模索、また省エネルギー技術の研究開発への促進の契機ともなった。石油の備蓄体制を強化することも行われた。また、
モータリゼーションの進展により
自動車の燃料消費が石油消費に高比率を占めていたことから、
鉄道をはじめとする
公共交通機関を再評価する動きが出た。
インフレ傾向を強めていた先進国経済は、オイルショックにより
スタグフレーションに突入。1971年の
ニクソン・ショックと合わさり戦後世界経済の成長体制は破壊された。工業化による投資で対外債務を膨張させていた南米やアフリカなどの開発途上国は石油輸入コストの急上昇で債務返済を遅延することとなり、国際金融問題となった。
石油輸出国は、輸出価格の急騰により政治・経済両面でのパワーを持つこととなった。輸出対価として得たドル(
オイルダラー)は世界金融市場の中で存在感を強めた。湾岸諸国は莫大な歳出が可能となり、福祉の充実を達成した。
第三次オイルショック
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中国やインドなどBRICsとよばれる新興国の経済発展による原油需要の増加
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地政学的リスクを背景にした原油先物市場における思惑買い
- 原油産出国の生産能力の停滞
- 投機的資金の流入
などの理由により、2004年頃から現在にかけての(目立った供給減少を伴わない)原油価格の高騰が続いている。これを第三次石油危機などと呼ぶものもいる。
その中で最も大きな理由と指摘されているのは、余剰マネーとしての投機的資金が原油の「現物」や「先物」を買い占めていることである。世界の金融市場から見ると原油の市場規模は相対的に小さいものだが、そこに
住宅サブプライムローン問題に端を発した米国不景気から投機的資金が原油市場に流れ込めば、「先物」としての原油価格が急騰するのも当然のことである。(ただし、本来
投機とはリスクをより少なくする目的でおこなうものであり、価格が暴落しているときに買い占め、価格が高騰してるときに売り払うことが多い)
事実、原油先物相場が史上最高値を更新し続けているなど原油価格高騰を受けて、石油が関係している製品の値上げも相次ぎ、昨今のサブプライムローン問題などにより、さらなる原油価格高騰および値上げ幅の上昇を招いていた。
その後、サブプライム問題が世界的な景気の後退を引き起こし余剰マネー自体が乏しくなるに至り、原油価格は大きく落ち込むこととなった。
出典
関連項目