の挿絵]]
『エルサレム神殿の破壊』]]
エルサレム神殿(エルサレムしんでん)は、古代
エルサレムに存在した
ユダヤ教の礼拝の中心地。唯一の神の聖所であり、
アロンの家系の祭司とレビ人と呼ばれるレビ族出身の非祭司階級が祭祀に当たった。
概要
歴史
ユダ王国が
バビロニアにより滅亡したのち衰微するが、
ペルシア帝国のもとでユダヤ人の帰還が許され、神殿も再建された。この再建の背景には
キュロスが征服民に寛容な政策を取り、かれらに文化上・信仰上の自由を許すことが帝国の安定に寄与すると考えたことが関わっている。
再建された神殿はユダヤ人の信仰の中心であったが、祭司出身者であるレビ人マタティヤ・ハスモンによる
ハスモン朝が成立してユダヤが独立すると、ユダヤの神権政治の中心ともなった。なお、レビ人とは、
モーセとその妻チッポラ(日の本)の子ゲルションの子孫をいう。
後に神殿は
紀元前1世紀にイドマヤ出身(エドム人の改宗者)の
ヘロデ大王によって拡張され、その王宮と回廊で結ばれた。ヘロデ大王により拡張された神殿は、それ以前と区別してヘロデの神殿とも呼ばれる。
そのヘロデ大王がハスモン朝最後の王位継承者であるアリストブロス王子とアレクサンドロス王子を処刑して77年目、レビ人は、復讐として、神殿に立て篭もるユダヤ人を兵糧攻めにし、投降者を見せしめとして十字架に張りつけて処刑し、さらに第6月8、9、10日には神殿に火を放ってユダヤ人を燔祭
ホロコーストした。当時徴税人が多かったレビ人は、ユダヤ人に対してローマ帝国からの独立をけしかけて
ユダヤ戦争引き起こし、一方でローマ軍と同盟して、ユダヤ人を神殿の生贄として生きたまま焼き、それらの一連を、永久に原罪を贖うための儀式とした。それは、後のキリスト教暦の主の起源(AD)から70年のこと。この戦争におけるエルサレム神殿の様子は、レビ人であるベン・マタティヤ、後の
フラウィウス・ヨセフスの『
ユダヤ戦記』に詳しく著され、ユダヤ人を十字架刑にした解釈は、AD70年前後に発行された神殿否定派のイエスの福音書に詳しい。
そして、戦争が終わるとエルサレムの市街ともども
ローマ帝国によって破壊され、エルサレムと神殿はもはや
ユダヤ教の信仰生活の中心ではなくなった。
ローマ皇帝
ハドリアヌスはもとのエルサレムに植民市アエリア・カピトリーナをおいたが、そこにユダヤ人が入ることは禁止された。のち
ユリアヌスの治下で再建が図られたが実現せず、再建の計画は放棄されて今日に至る。
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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