父親の影響で幼少の頃から野球に親しみ、リトルリーグでは州代表に何度も選出される。「肩の強さはメジャー級」と評され、
カンザス州立大学ではリーグ初の
黒人捕手として活躍する傍ら、子供たちに野球を教えることにも熱心であった。
アメリカ陸軍に志願し、
特殊部隊グリーンベレーの一員として2度
ベトナム戦争に従軍。その後、
タイの
バンコクで情報将校としての任務中クルティダと出会い結婚した。
アメリカ本土へ帰還後、軍で後進の教育に就いていた
1974年42歳のとき
ゴルフを始めた。同年退役後はマクダネル・ダグラス社に勤務しながら、タイガーの教育に力を注ぐ。本人の回顧では、野球や陸軍で後進の指導に携わったことで得たノウハウはまるで「タイガーを育て上げるため」に神が与えてくれたかのようだった、という。
1975年12月30日クルティダとの間に男子が誕生、「エルドリック(Eldrick)」と命名したが、ベトナムで親交を深めた
南ベトナム軍将校で、「タイガー」の異名をとるグエン・T・フォン大佐(Nguyen T Phong)が
MIA(戦闘中行方不明)となっていたことに対し、生還の願いと再会の期待を実子のニックネームに託し、「タイガー」と呼ぶようになった。
1996年10月後半に心臓疾患(不整脈)で倒れ、心臓バイパス手術を受ける。
1998年には
前立腺癌が発見され、いったんは放射線療法である程度の回復を見たが、
2004年に病状が再発し、
2006年5月3日、前立腺癌のため74歳で死去。彼は終の住処として、息子を育てた
カリフォルニア州サイプレスの自宅を選んだ。
1996年に、タイガーと共に「
タイガー・ウッズ財団」(Tiger Woods Foundation)を設立し、また
ロサンゼルスに「
タイガー・ウッズ・ゴルフ教育センター」を建設するなど、本人が「第2の職業」と位置づける教育との関わりは深い。
マスターズにおいては、1997年「21歳3ヶ月」で最年少優勝を飾ったタイガーとの抱擁や、
2005年病状が悪化し最終ラウンドの観戦ができなくなったが、このとき優勝したタイガーのコメント「この勝利を私の父に捧げます。」などから、親子の絆の深さを感じさせる。