また、同社を親会社とする
みずほ銀行、
みずほコーポレート銀行、
みずほ信託銀行、
みずほ証券など金融関係の企業からなる企業グループのことも指す。グループ全体によるブランドスローガン並びに中期事業戦略名は「
Channel to Discovery」。各事業子会社を通じて
銀行・
信託・
証券・資産運用・
クレジットカードなどの業務を提供しており、法人融資先は10万社超、個人預金口座数は2,600万口座に上り、総資産154兆円を抱える。
歴史
年表
-
発足以前の歴史は第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の各項を参照。
母体行
一方、
第一勧銀は
1997年、
野村證券などとともに
総会屋事件への関与が発覚し、外資系金融機関と提携してリテールでの活路を模索していた。だが、
投資信託販売を巡って
JPモルガンとの交渉が難航し、先行きは不透明なものになっていた。
富士銀行の送る秋波は
第一勧銀にとっても利害が一致する点はあったものの、「業務内容に大差がない都銀合併では効果が薄い」としており、法人部門の競争力で外資系にやがて競り負ける危惧があった。
当時は財務体質が優良な東京三菱、効率経営と
大和証券との提携で総合金融グループ化を図る
住友銀行が都銀の勝ち組と見なされていた。これらのようには
財閥グループ色が強くなく、
大和銀行や
東海銀行、
あさひ銀行のように特定地域に依存することなく、かつ
三和銀行のように強烈な行風でもない3行は、弱みを補完し合い、世界最大の金融グループへ一気へのし上がれるという点でも互いに理想的な相手だった。特に、合併行で自己主張に弱い第一勧銀が富士と興銀を結ぶ役割を果たした。
1999年8月19日、
日本経済新聞が夕刊で「興銀・一勧・富士銀、世界最大金融グループに」とスクープを放った。
なお、この際にみずほ銀行の本店を旧富士銀行本店、みずほコーポレート銀行の本店を
旧DKB本店、ホールディングスの本社を旧興銀本店と本来的にはするが、建てかえその他の理由により、暫定的に、
みずほ銀行本店が旧DKB本店、コーポ本店を旧興銀本店、ホールディングス本社を
丸の内センタービルに設置することを発表していたが、2008年の旧富士銀行本店ビル(みずほ銀行大手町本部ビル)建てかえに伴う、東京中央支店(旧富士銀行本店窓口)の仮店舗を
新呉服橋ビルディング(みずほ信託銀行本店が入居している)に隣接する日本橋TGビル(みずほコーポレート銀行日本橋営業部が入居している)の1Fに、FG本社を丸の内二丁目ビル(旧・文科省ビル)にそれぞれ移転する以外は、約10年間進展がない。
経営統合
1999年
8月20日、3行の頭取らが
帝国ホテルで共同記者会見を開き、経営統合の合意を発表した。総資産140兆円を超える、世界最大にして世界初の総資産1兆ドル金融グループが誕生することとなった。日本初の
銀行持株会社による統合であり、当時一般にはあまり馴染みの無かったこと、合併分割による2行体制への再編、圧倒的な規模から数多くの話題を呼び、大手銀行の大再編へ先鞭を付けた。前身行は
第一勧銀、芙蓉、
興銀各企業グループを率いており、あまりの大きさに
公正取引委員会は「融資先への影響力が大きく、営業次第では
不公正ともなる」という異例の公式見解を表明した。
その規模ゆえ発足当時は「
時価総額でグローバルトップ5を目指す」とするなど調子もよく、実際に
ムーディーズは3行の
信用格付けを統合発表後引き上げる方針だった。産業界からのコメントは「競争力向上に期待」「金融不安を正常化」など概ね好意的なものであり、
金融担当大臣の
柳澤伯夫は「前向きな戦略を自発的に打ち出すのは素晴らしいこと」と賛辞を贈った。一方で、
ウォールストリート・ジャーナルアジア版では「
相撲と同様、胴回りだけでチャンピオンになれるわけではない」と冷静な分析もなされた。
2000年9月、合算時価総額7兆4,115億円の共同持株会社「株式会社みずほホールディングス」が正式発足し、本社は
丸の内センタービル(みずほ銀行丸之内支店(当時は第一勧業銀行丸之内支店)が入居している)に置かれ、
証券コード8305で
東京証券取引所市場第1部に上場した。翌10月には「統合第1フェーズ」としてみずほ信託銀行・みずほ証券・みずほインベスターズ証券が発足。一方で2001年、富士銀行が
1984年に買収した
米国の金融会社ヘラーを
GEキャピタルに、第一勧銀が
1989年に買収した同CITをタイコに売却するなど、バブル以前に獲得した海外企業を手放している。
2002年4月、「統合第2フェーズ」として3行を合併・分割し、みずほ銀行・みずほコーポレート銀行が発足した。両行では、営業初日からATM決済でシステム障害が発生した。システム障害はみずほに先立って2002年1月に合併した
UFJ銀行でも発生していたが、みずほでは個人・法人双方における金融インフラとしての規模の大きさから混乱が深刻化し、250万件の
口座振替が遅延した<ref>中尾政之「
みずほフィナンシャルグループ大規模システム障害」『
失敗知識データベース』科学技術振興機構</ref>。また、原因究明の過程で、当初は第一勧銀のシステムに一本化する方針だったものが、3行の主導権争いの結果、旧システムを残したまま中継コンピュータで間に合わせる手法を採用した経緯が明らかになった。
金融庁から業務改善命令を受けたこともあり、合併早々から社会的イメージが急激に悪化<ref>「
巻頭鼎談/負債処理は完了、全面反転攻勢へ」『情報未来』No.24 pp. 4-13、2006年6月</ref>しただけでなく、個人顧客1割を失う<ref>「みずほシステム障害/預金者の約1割が口座解約などの行動」毎日新聞、2002年6月11日</ref>。
合わせて
不良債権問題が進むにつれて、実体的にも経営状態は深刻化していった。
不良債権処理
2002年10月以降、
竹中平蔵金融担当大臣が策定した
金融再生プログラム、通称「竹中プラン」に従い不良債権処理に乗り出したが、処理損失が大幅に拡大。2003年3月期には日本企業として過去最悪の2兆3700億円の
赤字決算となることが確実になる。これを受け、取引先企業を引受先とする1兆2,000億円もの大規模な
増資を実施した。銀行が取引先に助けを乞う格好は「
奉加帳増資」「優良企業の足を引っ張る」とも言われ、その規模や性格から多くの批判を集めた。
同時期に、みずほホールディングスは「みずほフィナンシャルグループ」を新設し、中間持株会社に転換するグループ再々編計画が出された。これは、持株会社ごとに赤字子会社と黒字子会社を振り分けることで、
配当の原資を捻出する狙いが合った。無配が続くと、公的資金注入で国が保有する
優先株が普通株に転換され、国有化されてしまうためである(これは後に
りそなホールディングスで現実のものとなる)。また、「企業再生プロジェクト」として再生専門子会社4社を設立し、不良債権を移管、
日本政策投資銀行や外資系証券の協力を得て再建に乗り出した。
一方、こうした再建スキームを株式市場は評価しなかった。みなし5万円額面のみずほ株は連日安値を更新し、2003年4月には額面割れ寸前の一時5万8,300円を付け<ref name="stock">
Yahoo! ファイナンス 時系列データ、東京証券取引所提供、2003年4月11日 - 2006年4月28日、月間</ref>、破綻や
公的資金による国有化も噂された<ref>"Financial Crisis Heats Up in Japan",
Wall Street Journal, 21 November 2006.</ref>。
週刊新潮には「竹中(平蔵)失言 "みずほは
シティバンクに売却"」と書き立てられたり<ref>「
銀行業界を震撼させた「竹中大失言」の衝撃〜みずほは『シティバンク』に買わせる!」『週刊新潮』2002年11月14日号</ref>、一般各紙でもみずほに対して悲観的な見方が大勢を占めた。株式時価総額で、
消費者金融大手の
武富士を下回る日もあった<ref>三反園哲治「
武富士・みずほ、静かな逆転劇」日経金融新聞、2003年4月22日</ref>。
結果的には、1兆円増資が緩衝剤となって、経営不振の取引先への再生支援などが進展。2003年から
2004年を谷として、これ以後は業績回復が続く。
みずほ銀行本店ビルを外部の不動産信託中間法人に1,050億円で売却したり、みずほ銀行大手町本部ビルを隣接する大手町フィナンシャルセンタービル(みずほ銀行(旧富士銀行)と
損保ジャパン(旧安田火災)が区分所有)と共に
東京建物の
特定目的会社に総額1,450億円で売却するなど、
資産の売却や
劣後債なども進めて
資本を積みますと同時に、傘下のみずほ銀行の
勘定系システム統合や店舗の統廃合によって経費も削減された。また、「みずほダイレクト」「
みずほマイレージクラブ」の新商品を開発したり、
みずほインベスターズ証券との共同店舗の設営など、現在のリテール方針の基礎が整い始めるのもこの頃である。
本店<(旧
興銀本店)]]
2004年
12月24日、旧興銀が
住専破綻処理を巡り
国税庁を相手取って提起した訴訟の上告審判決が出た。興銀は
1996年に日本ハウジングローンの債権を放棄、損金処理を実施したが、国税庁はこれを認めずに追徴課税を行った。これを不服とする興銀は
東京地方裁判所に提起し、一審では敗訴したものの、控訴審で逆転勝訴、
最高裁まで争ってついに勝訴が確定した。総額3,180億円がみずほに還付され、予想外の利益(「
クリスマスプレゼント」)を持ち込んだ。
こうした要因が重なり、不良債権比率は劇的に縮小。
2005年3月期決算では、
繰延税金資産の対中核自己資本比率、貸出に占める不良債権比率は
三菱東京・三井住友FGを下回り、メガバンク首位の優良な財務体質に転換した。これは、竹中プランを主軸とした金融庁に抵抗し不良債権処理を遅らせ、機動的な資本政策が取れず、ついには三菱東京フィナンシャル・グループに救済される形となった
UFJや、
預金保険機構から多額の公的資金の注入を受け、実質国有化されたりそなとは対照的である。
上記増資の引受け企業の数からも計り知れるが、あるいは後述の通り、みずほには広い法人顧客基盤があったことが、景気後退局面での弱みであり回復局面での強みになった。事実、不良債権処理の方法には、債務の放棄・売却や破産申請により貸出先との関係を清算する(最終処理)か、支援を継続して正常債権に上方遷移させるかの2通りがあるが、みずほは主に後者で対応し、2年間で90%の圧縮に成功した。景気回復で健全化した企業についての
引当金の戻り益もあり、業績は急速に回復した。
Channel to Discovery
2006年
7月4日には傘下行に注入された公的資金(総額2兆9,490億円)を完済。この時期にみずほ株は100万円前後の値を付け、3年で底値から18倍近い上昇を遂げた。さらに同年
11月8日をもって、NYSEへ上場した。
1989年の
三菱銀行に続くものであり、
バブル崩壊後初の邦銀進出となった。
みずほコーポレート銀行は2006年中に海外5拠点を新設し、
みずほ銀行は国内で
芦屋市への再進出を始めとしてみずほインベースターズ証券のみずほ銀行内拠点「プラネットブース」設置数を増加させた。こうして金利収入・非金利収入は引き続き伸長したものの、大口融資先であった
オリエントコーポレーションの赤字転落に伴い、再び引当金の積み増しを迫られ、2007年3月期決算では4期ぶりの減益となった。同時に、2006年3月の
ゼロ金利政策解除が追い風となって、利鞘収益の改善期待により上昇していた株価は失速し、70 - 80万円台で推移した。一方、
優先出資証券による増資で自己資本比率が12.48%に改善したこともあり、ムーディーズによる格付は2006年5月7日にAaに引き上げられた。
サブプライムローン問題
2007年夏、米国を震源地としてサブプライムローン問題による金融市場の混乱が各国に広がった。日本企業では、海外展開や投資銀行業務での先行が裏目に出たみずほがサブプライム関連損失額で最悪となった。
損失の中心となったのはみずほ証券のロンドン法人で、サブプライム関連の証券化商品を組み込んだ債務担保証券を組成し投資家に販売する業務を手掛けていた。他社はハイリスクすぎて手が出せなかったというこの大量の在庫に値崩れが直撃し、売却損、与信費用、引当金などにより多額の損失が発生。銀行部門で2,080億円、証券部門で4,040億円の損失を計上した。このため、実質業務純益や預貸金利回差が改善したにもかかわらず、最終利益は前期の半分となる3,112億円にとどまった。
サブプライム問題を巡っては、日本の金融機関として唯一
G7財務大臣・中央銀行総裁会議の拡大会合に招待され、各国大手と解決へ向けての協議に参加した。サブプライム問題の日本代表となった形だが、社長の前田晃伸は通期決算発表で「こんなこと(サブプライム問題)で日本一になり恥ずかしい」とのコメントを残している。欧米金融機関が多額の損失を出す中で、邦銀が出し抜く好機とも見られていたが、みずほは
メリルリンチに1,200億円を出資するに留まっている。ただし、金融市場で積極的にリスクをとりにいった姿勢を高く評価する声があるのも事実である。
また、2003年の1兆円増資によって発行した優先株が
2008年より普通株転換可能となることから、
株式の希薄化が懸念されている。みずほでは対策として累計9,500億円にのぼる
自社株買いを計画し、既に2007年度実施分で日本企業トップとなっている<ref>「
みずほが自社株買いトップ 07年度、野村証券調査」共同通信、2008年5月2日</ref>。サブプライム問題の反面、こうした資本政策や経営透明化策のため、英金融専門誌『The Banker』による「Bank of the Year 2007」日本部門に選出され<ref>“
The Banker Country Awards 2007”,
The Banker, 1 December 2007.</ref>、また米機関投資家情報誌『Institutional Investor』による「日本の最優秀CEO」銀行部門第1位に前田晃伸が選ばれるなどした<ref>「最優秀CEO、銀行部門、みずほ・前田社長、保険はT&D・宮戸社長--米誌調査」日経金融新聞、2007年12月10日</ref>。
グループ企業
-
関連項目: 、みずほグループ
[[画像:Mizuho Financial Group income by division.png|thumb|180px|部門別の業務純益構成
]]
現在、みずほフィナンシャルグループは「"Channel to Discovery" Plan」に基づき、グループ企業の再編を進めている。2005年10月1日を以って商号や親子関係などに変更が生じた。同プランでは傘下企業を顧客ニーズに基づき分類、グローバル水準のサービスを提供するとし、大きく4つのグローバルグループで事業ポートフォリオを構築している。
海外現地法人や各社の子会社(孫会社)を含めると、その傘下企業総数は152社となる。そのうち、同社が「"Channel to Discovery" Plan」で重点的位置づけをしている企業を以下に示す。詳細については当該記事を参照。
コーポレート
みずほコーポレート銀行
みずほコーポレート銀行
は
第一勧銀、
芙蓉、
興銀各グループほか
東証1部上場企業の7割を大口取引先にもち、4割のメインバンクを務める
都市銀行である。経営危機の際、増資引受を幅広く依頼できたことも、この法人部門の力が背景にあった。みずほグループ全体の経常利益の半分以上を稼ぎ、協調融資(アレンジャー・ブックランナーの双方で日本第1位、世界12位)や債券(日本第1位)、プロジェクトファイナンス(世界第3位)、エクイティ等の実績においては他のメガバンクを抑えている。みずほの収益の柱となっているだけでなく、旧興銀の力を生かした新たな金融ニーズに応える銀行となっている。
2006年
12月18日、米国銀行持株会社法に基づく「金融持株会社」(
Financial Holding Company)認可を
FRBより、
農林中央金庫とともに日本の金融機関で初取得した。銀行業務と証券業務の兼営を緩和するこの資格により、投資銀行ビジネスの包括的展開が可能となる。また、
中国でも2007年6月に邦銀初となる現地法人を設立している。この他、29ヶ国、51都市で業務を営んでおり、2007年には「海外営業推進部」を設置、
サンパウロ、
モスクワ、
ミラノ、
メキシコシティ、
ドバイ、
天津、
大連、
トロント、
バンクーバーの9拠点を新設している。
本店は旧興銀本店に置き、
勘定系システムも旧興銀ベースのITISを導入している。
みずほ証券
みずほ証券
はホールセール(大企業向け営業)に特化した
証券会社で、みずほコーポレート銀行の子会社である。
株式・
債権・投資銀行の3つを重点業務に位置づけ、特に
社債市場では高いシェアをもつ。
米国現地法人である米国みずほ証券は、日本の証券会社としては
野村證券インターナショナル・
アメリカ大和証券と並んで、
米国財務省から国債市場特別参加者(
Primary Dealer)に指定されている。
その後
農中証券の事業譲渡を受けた関係から、
農林中央金庫が第2位の株主となり、100%みずほグループの資本ではなくなった。
リテール
グローバルリテールグループ(GRG)は、
個人、
中小企業や
地方公共団体を顧客とする。物件費・人件費などの経費が依然として高く、収益性が低いことが課題となっている。一方、2007年の日本経済新聞「銀行リテール力調査」では、店頭サービスや金融商品充実度について2位の
新生銀行を抜き総合首位となっている。
<(旧
第一勧業銀行本店ビル)]]
みずほ銀行
中小企業向け営業を一定規模以上の基幹店に集約させる一方、個人向け相談特化型店舗「みずほパーソナルスクエア」として従来「有人出張所」であった店舗を「支店」に昇格させたり、非カバー地域への新規出店も計画している。営業店内に富裕層相談窓口の「みずほプレミアムサロン」を開設し、FC(フィナンシャルコンサルタント)と呼ばれる資産運用アドバイザー2,000名を新規配置した。
中小企業向け業務は「みずほビジネス金融センター」への集約が進められ、退職した行員の再雇用、スコアリングモデルを用いた無担保ローンを通じて融資を拡大させている。2007年には「証券・信託業務部」が新設され、情報共有に同意した顧客に対し、みずほインベスターズ証券・みずほ信託銀行と共同で
確定拠出年金や
不動産担保融資、
株式公開などのアドバイザリーを行う。
プライベート・バンキングへも参入し、みずほ銀行に5億円以上の資産をもつ顧客を対象にみずほプライベートウェルスマネジメントへの紹介を進めている。一方のマスリテール層へは、グループ化予定の
オリコの与信機能を活用しカードローンの提供を開始した。
みずほインベスターズ証券
本社(澁澤シティプレイス)]]
みずほインベスターズ証券は、個人向けの営業を主に取り扱う準大手証券会社で、みずほ銀行がその株式の66.8%を保有する子会社である。
東京証券取引所市場第1部に
上場している。前身は旧第一勧銀系の勧角証券。同時に旧富士銀行も大株主であったため、みずほグループ発足の嚆矢ともなった。
本支店数は59。銀行・証券連携として、親会社のみずほ銀行との共同店舗である「プラネットブース」を展開している。
2003年7月28日に内幸町本店を共同店舗化したのを皮切りに、都市圏を中心として102ヶ所に出店している。
2007年初頭に発表されたみずほ証券・新光証券の合併には、以上のような銀証連携という事業戦略の違いから、合流を見送った。
UCカード
UCカード
は
2005年10月1日付で
会社分割により新設されたもので、
クレジットカードのプロセシングおよび加盟店の各事業を行う。プロセシングとは、クレジットカードの決済事務処理であり、
クレディセゾンおよびUCカードグループが発行するUCカードに関する業務と、
国際カードを発行する権利を有しないクレジットカード会社に加盟店の開放を行い、発行される
MasterCard・
VISAの各ブランドのクレジットカードの売上処理等を受託している。現在、プロセシング部門は
キュービタスに分割・譲渡したため、ユーシー社は加盟店部門のみを担当している。
みずほキャピタル
みずほキャピタル
は
ベンチャーキャピタルである。みずほ銀行、みずほコーポレート銀行などと連携し、純投資としての未上場企業への出資から
コンサルティング業務までを取り扱う。13の投資事業組合を傘下に置く。
2008年3月時点で、国内外の1,086社に総額460億円を投資しており、これまで748社が新規株式公開に至っている。
アセット&ウェルスマネジメント
グローバルアセット&ウェルスマネジメントグループ(GAWG)は、
信託業務を中心として個人・法人の資産管理、運用を行う。
みずほ信託銀行
)]]
みずほ信託銀行は、富士銀行系列の安田信託銀行を主な前身とする
信託銀行である。芙蓉グループに属したものの、かつては独立した信託銀行だった(現在も東証1部への上場は維持している)。
1996年に不良債権問題が深刻化し、同根の富士銀行に救済子会社化され、再建処理に第一勧銀が共同であたったことから、みずほインベスターズ証券とともに経営統合の契機となった会社である<ref name="nikkei990820" />。
旧安田信託時代から
住友信託銀行とともに
不動産分野に強みを持っており、不動産信託では受託残高で20%超のシェアをもち首位である。また、みずほ銀行・みずほコーポレート銀行と信託代理店契約を結んでおり、顧客基盤の共有やみずほプライベートウェルスマネジメントへの紹介、
証券化業務の拡大を進めている。企業融資など銀行業としての役割は他2行に移行し、自身は徐々に信託特化へ動いている。このため、利益に占める信託報酬などの手数料収入が、融資業務による資金利益の2倍近くに達しており、この比率は大手信託銀行で最も大きい。
資産管理サービス信託銀行
2007年3月末で預り資産残高が200兆円を超え、業界トップの実績となった。みずほグループが株式の過半数(54%)を保有している。
みずほプライベートウェルスマネジメント
みずほプライベートウェルスマネジメント
は、「"Channel to Discovery" Plan」の一貫で2005年に新設されたプライベートバンキング(富裕層向け資産保全・運用業務)を取り扱う。みずほ銀行やみずほ信託銀行、みずほインベスターズ証券に5億円以上の資産を預ける顧客を対象としている。
資産運用2社
グループ戦略子会社
経営
2000年のみずほホールディングス発足時には、第一勧銀会長兼頭取の
杉田力之が社長に、富士銀頭取の
山本惠朗と興銀頭取の
西村正雄が会長に就任し、対外的には3人揃って共同
CEO(Co-CEO)という肩書きを名乗っていた。
杉田は
2002年以降も留任する意向だったが、その在職期間中に業績が急激に悪化、株価も大幅に下落し、杉田自身も体調を崩して入院したため、退任を余儀なくされた。当初は3人を「特別顧問」の地位で残す方針もあったが、これも撤回されたのに加え、退職金も支払われなかった。経営責任の明確化、順送り人事の廃止によるコーポレートガバナンス向上を求める市場からの圧力の結果、最終的には9人の役員全員が退任した。
こうした経緯により、3大メガバンクで唯一、みずほには会長職が存在しない。
ブランディング
「みずほ」は、かつて存在した「
さくら銀行」「
あさひ銀行」と同じく
平仮名・
大和言葉銀行であり、日本語話者に奥行きある語感を与える。特に「軽快さ」の印象が強く、次いで「鋭さ・強さ」「庶民性・適応性」「清潔・健康」「静的」な感じがあり、2003年当時の5都銀の名称中で最も訴求力に優れていると分析されている。
発足から間もない頃は、Mizuhoの頭文字「M」と、
地球をモチーフとした円弧から成るロゴを使用していた。早い段階で統合を済ませた
みずほインベスターズ証券などの店舗看板に見られた時期があったが、
2001年10月11日に現行のロゴを発表、今では全く使用されていない。
旧財閥系の名前を残した
三菱東京UFJ銀行や
三井住友銀行と比べてブランド力や知名度に劣るとされていたが<ref>「
メガバンク、再び世界市場へ/みずほ、8日にNY上場」朝日新聞、2006年11月5日</ref>、
イギリスの金融専門誌「
The Banker」2006年11月号による格付ではブランド価値60億9,000万
ドルで、邦銀首位の第22位にランクインした<ref>「
みずほ22位、日本勢は6社」神戸新聞、2006年11月10日</ref>。なお、三菱UFJは第34位、三井住友は第35位となっている。
ブランドステートメント
- Value Communication
- お客さまの夢や歓びを、お客さまとわかちあうこと。2002年 - 2005年
- Channel to Discovery
- より良い未来をつくる金融であるために。2005年 - 現在
社会事業
近年の金融教育の高まりに合わせて、各大学への支援・協賛活動に力を入れている。
また、教員養成系の
東京学芸大学とは、より低年齢の
小中学生を対象とした金融教育で共同研究を行っている。こちらは投資手法を教えるのではなく、
クレサラ問題や金融犯罪などの学習を中心としている。
このほか、旧
富士銀行時代の
1968年から、
損保ジャパン(当時は
安田火災)・
明治安田生命(当時は
安田生命)、
第一生命と共同で、全国の
小学校に入学する新1年生を対象に交通安全のための「黄色いワッペン」を配布している。ただのワッペンではなく、交通事故を対象とした有効期間1年の
傷害保険付のもの。これまでに手にした児童は累計5,000万人を数える。
アメリカ同時多発テロ
経営統合を目前にした2001年
9月11日、
アメリカ同時多発テロ事件により、
世界貿易センタービル(WTC)南棟に入居していた富士銀行
ニューヨーク支店の23名(うち日本人行員12人)が死去・行方不明となった。旅客機が突入したのは南棟の78-85階部分であり、同支店は丁度79-82階の4フロアを占めていた。日本企業としては最悪の犠牲者数であった。
第一勧銀と
興銀もWTCに入居していたが、死者はなかった。
9月21日には、当時のみずほホールディングスが、救援活動を支援するため、
日本赤十字社に100万米ドルの寄付すると発表した。あわせて取引先等からの激励や見舞い、現地での直接の支援を受けていることに対して感謝の旨を記した。
事件から4年を経た2005年9月11日、みずほフィナンシャルグループ本社(旧
富士銀行本店)前に、事件のメモリアルとしての追悼
モニュメントが設置された。母子像を中心とする
ブロンズ像と、ニューヨーク消防当局から寄贈されたWTCビルの鉄骨が展示されており、その隣には犠牲者の氏名が刻まれている。
親密・提携関係の金融機関
生命保険・損害保険
旧興銀は
第一生命保険と
1998年から全面提携を締結し、現在も継続されている。第一生命は
損害保険ジャパンとも提携しているが、こちらも前身の旧安田火災が富士銀系、旧日産火災が第一勧銀系であり、丁度みずほFGに対応している。
みずほグループの銀行・生保・損保というと、この3社が代表である。
地方銀行
特にみちのく銀は
上杉純雄会長が富士銀の元常務(2002年より旧
ユーシーカード社長に転向していた)であり、部長級の役員を富士銀が送り込んだこともある。特徴だった
ロシア業務を
みずほコーポレート銀行に売却した。荘銀も前頭取の
町田睿取締役会議長が富士銀の元常務であり、富士銀の米沢支店、前身安田銀行の鶴岡・酒田支店を継承しているなど戦前から関係が深い。千葉興銀は安田系で、
芙蓉グループのメンバーでもある。経営危機の際にみずほFGから支援を受け、現在もみずほ銀・みずほコーポ銀が9.44%ずつ出資する他優先株なども保有している。
肥後銀行も戦前において旧安田系であったため、顧問(前頭取)の稲垣精一・頭取の
小栗宏夫は富士銀行常務を経て頭取に就任している。
2008年5月、北都銀行と荘内銀行が持株会社による経営統合を発表した。この統合にはみずほによる仲介・アドバイザリーがあったという。
戦後地銀の
東京都民銀行は興銀の協力のもと設立されたもので、
興銀グループに属した。撤退が決まっている
東京都民銀行楽天支店は、
楽天の
三木谷浩史会長兼社長が旧興銀出身というバックグラウンドがあったことも影響している。
第二地方銀行
きらやかホールディングス傘下だった、旧
山形しあわせ銀行が富士銀系、旧
殖産銀行がDKB系ある。かつては両行とも
荘内銀行との関連が強く、山形しあわせとはシステム共同化を行い、殖産とはみずほ系同士での合併による新銀行・
ミライオン銀行構想が出るなどがあったが、町田頭取就任後の荘銀が内陸・
仙台圏へ攻勢をかけるなど、荘銀側の大きな状況変化でいずれも解消となっている。結果、両行の経営統合となり、
2007年5月7日、
きらやか銀行が発足した。なお、現在のきらやかホールディングスは、信託口を除けば
みずほコーポレート銀行が筆頭株主となっている。
大光銀行は旧
長銀や旧
日債銀とともに第一勧銀と親密。
愛媛銀行は第一勧銀・三和銀の両者と親密だったが、経営環境悪化等の理由から三和銀との株式持ち合い解消している。
信用組合
かつては人材や経営を第一勧銀に依存していたが、現在では関係は薄まり、第一勧銀出身の職員は20名程度に過ぎない。
証券会社
本社<(大手町ファーストスクエア)]]
系列の証券会社は概ね
みずほ証券・
みずほインベスターズ証券に統合され、さらに旧興銀系の
新光証券がみずほ証券と合併することで合意した。ただし、サブプライムローン問題に伴うみずほ証券の損失のため、合併は度々延期されている。
外国銀行
リース
旧第一勧銀系の
東京リース(4.66%)、センチュリー・リーシング・システム(4.00%)、旧富士銀系の
芙蓉総合リース(3.00%)、旧興銀系の
興銀リース(4.59%)がある(括弧内は出資比率)。いずれも
東証1部へ上場している。
2006年下半期に
住友グループ系、
三菱UFJフィナンシャル・グループ系の
リース会社による事業統合が相次ぎ、みずほ系リースも業界再編の焦点となっている<ref>浪川攻、大西富士男「
メガバンク系が大統合 "リース大再編"の激震」週刊東洋経済TKプラス、2006年10月27日</ref>。だが、出資比率が最も低い芙蓉総合リースがWebサイト上で「みずほフィナンシャルグループ」を明示し、興銀リースがみずほフィナンシャルグループの一員であることを表明する<ref>
ごあいさつ、興銀リース Webサイト</ref>一方、その他は独自のM&Aを展開するなど、足並みは一様ではない。
ノンバンク
信販分野で、旧第一勧銀・富士銀時代から親密であった
クレディセゾン・
オリコと業務提携している。こちらは保証業務などが中心であり、他の
メガバンクと
消費者金融の間に見られる関係(資本参加、「銀行系ローン」の設立等)とは一線を画す。
消費者金融の
テレビCMや
広告について「個人的には、ちょっと目に付く」(社長の
前田晃伸)と批判。
グレーゾーン金利は「明らかに正常ではない」「(みずほに開設された)2,600万口座の既存顧客へのより良いサービス提供が最優先」(同)とコメントしている<ref>
全銀協会長 記者会見、2006年3月22日</ref>。2005年度会社説明会でも「シナジー効果の期待できない消費者金融業界との提携は今後も検討するつもりはない」と断言した<ref>M
2006年3月期 会社説明会、2006年5月31日</ref>。このため「みずほ銀行系キャッシング」のようなサービスは存在しない。
灰色金利撤廃により、オリコは
2007年3月期決算で過払い金の返還に備える引当金を大幅に積み増す必要に迫られ、2000億円の赤字に転落することとなった。このため、みずほや
伊藤忠商事を引受先とする
第三者割当増資を実施、さらにみずほからの借入を株式化し、グループ化される見通し。合わせてみずほと伊藤忠も
UCカード事業での提携を発表し、カード分野で新たな事業展開がなされる。
脚注
参考文献
基本情報
みずほフィナンシャルグループについて
-
須田慎一郎『巨大銀行沈没―みずほ危機の検証』 新潮社〈新潮文庫〉、2006年、ISBN 4-1012-8351-6
-
高杉良『銀行大統合―小説みずほFG』 講談社〈講談社文庫〉、2004年、ISBN 4-0627-4879-7
-
須田慎一郎『巨大銀行沈没―みずほ失敗の真相』 新潮社、2003年、ISBN 4-1045-9701-5
金融業界関係について
- 野崎浩成『銀行』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2006年、ISBN 4-5321-1712-7
- 笹島勝人『日本の銀行』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2005年、ISBN 4-5321-1075-0
- 三神万里子『メガバンク決算』 角川書店、2003年、ISBN 4-0488-3817-2
個別の出典
先頭に「M」とあるものは、みずほフィナンシャルグループが公表した資料である。
関連項目
外部リンク
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